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陳寿

(社会)
ちんじゅ

中国三国時代から西晋歴史家233年 - 297年)。巴西郡安漢の人。字(あざな)は承祚。

元は蜀漢に仕えており、学者の譙周に師事していた。

蜀漢の滅亡後は不遇をかこっていたが、同門であった羅憲の推挙により晋王朝に仕官した。

張華に見い出され、『三国志』(正史三国志)を編纂した。

『三国志』は魏書三十巻・蜀書十五巻・呉書二十巻の六十五巻をまとめたもので、曹魏を正統王朝とし、信憑性の薄い記事を排除した非常に簡素な内容となっており、信憑性が高いと評価されている。しかし、良書ではあるが簡略に過ぎるということで、後に劉宋の歴史家裴松之によって註が付けられている。また、曹魏を正統としつつも、故国である蜀漢を同じく非正統な王朝であるはずの孫呉に対して区別するなど、暗に蜀漢の正当性を暗示していると見られる部分もある。

蜀漢の丞相である諸葛亮を尊敬し、その著作を集めて『諸葛亮集』を編纂し、西晋の武帝司馬炎)に上呈したこともある。

歴史家としては業績を残したものの、政治的には、たびたび讒言を受けて免職になるなど不遇であった。また、没後も、『三国志』の編集内容について批判を受け、曲筆の疑いをかけられることもたびたびあった。

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