ドイツ文学者。(1909年1月25日‐1986年10月14日)
広島市大崎上島町生まれ。4歳の時、忠海町長などを勤めた羽白新の養子となる。忠海中学校、広島高等学校卒、1932年京都帝国大学文学部独文科卒。成城高等学校教授、広島高等学校教授、広島大学教養部助教授、教授。73年定年退官、名誉教授、成城大学経済学部教授、80年退職、広島県立美術館長。1971年中国文化賞受賞。広島ペンクラブ会長。1950年日本ペンクラブの「広島の会」で企画・司会もし、「広島文学」の創刊に尽力している。長男光を広島二中の時、学徒動員中原爆で亡くし、1951年原民喜詩碑建設委員長。