・寛徳2年(1045) 1.16 後朱雀天皇の譲位により、親仁親王は践祚した(後冷泉天皇)。(『百錬抄』) ・永承1年(1046) 1.18 右大臣,藤原実資は死去した。(『扶桑略記』) ※実資の生前、彼の日記『小右記(野府記)』は裁断されていた。それは、日記の内容を儀式ごとに分類した「部類記」を作成するためである。その計画は実資の死により頓挫したが、原本を書写する過程で『小記目録』という目録が作成された(倉本一宏『増補版 藤原道長の権力と欲望』)。 ・永承1年(1046) ?.? 源頼信は石清水八幡宮に祈願し、告文を奉納した。(『石清水田中家文書』) ※頼信は、石清水八幡宮の祭神,八幡神(=…