80年代のプロ野球選手。現・福岡ソフトバンクホークスバッテリーコーチ。登録名「大石知宜」。
右投右打、ポジションは捕手。背番号は41→9→8番。
1954年1月15日生まれ。徳島県出身。
徳島海南高校から神奈川大学に進学。
河合楽器を経て1980年、ドラフト3位で西武ライオンズに入団。
1年目より一軍に定着。
1981年、正捕手となりオールスターに出場。西武ライオンズの黄金時代を支えた。
1985年、キャンプイン直前に田尾安志との2対1の交換トレードで、杉本正と共に中日ドラゴンズに移籍。
中尾孝義の控えの捕手として一軍に定着した。
1991年、現役引退。
翌1992年、二軍バッテリーコーチに就任。
1994年、登録名を「知宜」とした。
1995年、西武ライオンズの一軍バッテリーコーチに就任し、古巣復帰。
1997年、脱税問題により退団。
1999年、西武ライオンズの一軍バッテリーコーチに復帰。
2002年、福岡ダイエーホークスの一軍バッテリーコーチに就任。
現在は福岡ソフトバンクホークスの一軍バッテリーコーチを務める。