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国共合作

(一般)
こっきょうがっさく

中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係である。
軍閥を討伐するための第一次国共合作と、抗日戦争の為の第二次国共合作がある。


どちらも、中国内では非常事態のために、共産党の勢力が必要になる場合、政敵である中国共産党との共同戦線を結成した。


第一次国共合作は、1924年から1927年まで。非合法の軍閥政権が国際に承認され、孫文が非常事態だと思って、ソ連の合作建言を受けた。つまり、中国共産党員が個人として国民党に加入する党内合作の形式を取った。もちろん、中国国民党内部は反対の声が高いだが、孫文が自分が彼らを感化(共産主義を放棄)すると党内の反対を鎮めた。が、翌年の1924年、孫文が「革命未だ成らず」の言葉を残して、北京で逝去したため、共産党を説得する計画も台無しになった。同時に、中国国民党内の中国共産党が活発となり、日後中国分裂の種となる。1927年7月に国共合作は崩壊し国共内戦に突入した。


第二次国共合作は、抗日戦争のために、日本軍国主義の急進的な大陸膨脹政策の結果、中国の全面的抗日の要望を生んだことにより再び中国共産党との合作関係を成立した。張学良によって西安に監禁された蒋介石は共産党代表周恩来に説得され、国共合作による抗日統一戦線の結成に同意し、翌1937年の蘆溝僑事件によって第二次国共合作が実現した。が、しかし、あの時の中国共産党は「三分抗日、七分発展。(三割は抗日のために、七割は共産党を状大するために)」の政策を取って、段々合法で勢力を大きくなった。一方、負けた中国国民党は最後残った領土である台湾に撤退し、今至る。

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