北条時茂(1240年〔仁治元年〕−1270年〔文永7年〕)読みは「ほうじょうときもち」とも。 北条重時の子。若狭・摂津の守護。1254年(建長6年)に服喪中の北条実時の代理として一時小侍所別当となる。1256年(康元元年)六波羅探題北方として上洛、翌年の正嘉元年に従五位下左近将監、1267年(文永4年)に陸奥守となる。1270年(文永7年)正月に死去。 時茂の子孫は常葉流といい、北条時範、北条範貞と六波羅探題北方を務める。時茂の娘は足利家時に嫁ぎ、足利貞氏を産む。
六波羅南方に赴任した時輔は、北方の時茂に格下に扱われるも意に介しない。鎌倉では空気を読まず時頼殺害犯をあくまでも追及しようとする涼子は乱心を疑われ時宗の邸を出る。泰盛に仕官を断られた長時暗殺者の八郎は、謝太郎を介し時宗に会った瞬間恋に落ちる(としか言いようがない) 補足 知に長けすぎて情が薄かった実時が、政村娘との婚姻で離縁した前妻に自害され、その息子顕時がグレたことで情が人を動かすことを知り、意地を通す涼子に理屈ではなく情を持って説得できる人間に変わったという実時回でもあった。ちなみに史実では顕時は政村娘の子。 一条実経、西園寺実氏、近衛基平の公家三人衆がこの回に初登場。いずれも鎌倉幕府と北…