Ranko Popović
元サッカー選手、サッカー指導者。
1967年6月26日生まれ。セルビア出身で、オーストリア国籍も有する。
現役時代はパルチザン・ベオグラードやシュトゥルム・グラーツなどに在籍。2002年に現役引退後は、指導者へと転身。
2006年6月から2007年10月まで、ミハイロ・ペトロビッチ監督の下、サンフレッチェ広島でコーチを務めた。
2009年7月、ペリクレス・シャムスカの後任として大分トリニータの監督に就任。J2降格となったが、終盤にチームを立て直した。
大分の深刻な経営難のため、年俸の大幅ダウンを申し出てまで残留を望んだが、最終的には退団が決定した。
2011年シーズンは、日本フットボールリーグ(JFL)所属のFC町田ゼルビアの監督を務めた。リーグ戦でJ2昇格圏内の3位に入り、クラブのJリーグ参入に貢献した。
2012年シーズンより、FC東京の監督に就任。
2014年シーズンより、セレッソ大阪の監督に就任。シーズン中の6月、成績不振のため解任された。