キーワード「バブル」も参照のこと。
イギリスのサウス・シー・バブルを語源とする。中身の無い、ふくれてはじけるバブル「泡のような経済」を連想させることから表現として定着した。極端に楽観的な見通しに基づく、持続不可能な好況。投機が過熱し、資産価格が急騰する。
特に日本では、昭和末期から平成初期にあたる1985〜1990ごろの日本の好景気を指す。プラザ合意以降の急速な円高が引き起こした円高不況に対処するため大規模な金融財政政策がとられたが、国内の製造業者は高コストの日本から海外へ製造拠点を移しつつあり、資金は設備投資に向かわず資産市場へと向かった。いわゆる余資運用、財テクである。ブラックマンデーの影響もあり、金融当局が緩和姿勢を継続したため過剰流動性が生じ、未曾有のバブルを形成した。
民間銀行をはじめ住宅ローン専門会社、系統金融機関、その他金融などの経路を通じた過剰融資として資金が供給されたため、バブルが崩壊して資産価格が急落すると、莫大な不良債権を抱えて金融システム自体が危機に陥った。
以上の様に、日本中が天国かお祭りかといった浮かれ様だった、日本全国はバラ色の日々だった。
もちろん弊害があったわけで、このバブル経済は基本的には、空前の土地価格の上昇に支えられたものであった。そのため、都心部をはじめとした全国の都市圏の土地はまさに天井知らずの値が付き、都心部はおろか1時間の通勤圏に宅地を持つのは夢のまた夢という事態となった。
1986年11月から1991年2月までの51ヶ月間続き、1987年度から4年間の実質GDP伸び率は4%を超えた。