F1において日本で開催される大会。
1987年の開催以来、長年鈴鹿サーキットでのみ開催されていたが、2007年より富士スピードウェイでの開催*1を機に2009年以降は鈴鹿サーキットとの隔年開催になっていたが、富士スピードウェイが09年に諸般の事情から2010年以降の開催を取りやめ、再び鈴鹿サーキットのみの開催に戻った。
鈴鹿サーキットと富士スピードウェイの交互開催となった背景には、自動車メーカーのトヨタが企業的中華思想とも言える強引な横槍を入れたと言われている。
しかしその強引さから各種の無理が露呈する結果となった。
年度 | 開催地 | 決勝開催日 | 優勝者 | コンストラクター | 日本人最上位 | 備考 |
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1976年 | 富士スピードウェイ | 10月24日 | マリオ・アンドレッティ | ロータス | 高原敬武9位(スポット参戦) | フルウェット |
1977年 | 富士スピードウェイ | 10月23日 | ジェームズ・ハント | マクラーレン | 高橋国光9位(スポット参戦) | 決勝で観客・警備員2人死亡 |
1987年 | 鈴鹿サーキット | 11月1日 | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 中嶋悟6位 | NA最高位はジョナサン・パーマー(ティレル・総合8位) |
1988年 | 鈴鹿サーキット | 10月30日 | アイルトン・セナ | マクラーレン | 中嶋悟7位 | NA最高位はティエリー・ブーツェン(ベネトン・総合3位) |
1989年 | 鈴鹿サーキット | 10月22日 | アレッサンドロ・ナニーニ | ベネトン | 中嶋悟41周DNF | ファイナルラップでセナとアラン・プロストが接触 トップチェッカーのセナ失格 |
1990年 | 鈴鹿サーキット | 10月21日 | ネルソン・ピケ | ベネトン | 鈴木亜久里3位 | オープニングラップでセナとプロストが接触 亜久里はアジア人初のF1表彰台 |
1991年 | 鈴鹿サーキット | 10月20日 | ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン | 中嶋悟30周DNF | |
1992年 | 鈴鹿サーキット | 10月25日 | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ | 鈴木亜久里8位 | |
1993年 | 鈴鹿サーキット | 10月24日 | アイルトン・セナ | マクラーレン | 鈴木利男12位(スポット参戦) | |
1994年 | 鈴鹿サーキット | 11月6日 | デーモン・ヒル | ウィリアムズ | 片山右京・井上隆智穂3周DNF | フルウェット 赤旗中断により2ヒート制レース |
1995年 | 鈴鹿サーキット | 10月29日 | ミハエル・シューマッハ | ベネトン | 井上隆智穂12位 | |
1996年 | 鈴鹿サーキット | 10月13日 | デーモン・ヒル | ウィリアムズ | 片山右京37周DNF | |
1997年 | 鈴鹿サーキット | 10月12日 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 中野信治22周DNF | 暫定的に出走のジャック・ヴィルヌーヴ5位フィニッシュも失格 |
1998年 | 鈴鹿サーキット | 11月1日 | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 中野信治40周DNF | |
1999年 | 鈴鹿サーキット | 10月31日 | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 高木虎之介43周DNF | |
2000年 | 鈴鹿サーキット | 10月8日 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 未出走 | |
2001年 | 鈴鹿サーキット | 10月14日 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 未出走 | |
2002年 | 鈴鹿サーキット | 10月13日 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 佐藤琢磨5位 | |
2003年 | 鈴鹿サーキット | 10月12日 | ルーベンス・バリチェロ | フェラーリ | 佐藤琢磨6位(スポット参戦) | |
2004年 | 鈴鹿サーキット | 10月10日 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 佐藤琢磨4位 | 台風の影響により予選を午前中に開催 |
2005年 | 鈴鹿サーキット | 10月9日 | キミ・ライコネン | マクラーレン | 佐藤琢磨失格 | 佐藤は13位フィニッシュも失格 |
2006年 | 鈴鹿サーキット | 10月8日 | フェルナンド・アロンソ | ルノー | 佐藤琢磨15位 | |
2007年 | 富士スピードウェイ | 9月30日 | ルイス・ハミルトン | マクラーレン | 山本左近12位 | フルウェット 開催において問題点頻発(後述) |
2008年 | 富士スピードウェイ | 10月12日 | フェルナンド・アロンソ | ルノー | 中嶋一貴15位 | |
2009年 | 鈴鹿サーキット | 10月4日 | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 中嶋一貴15位 | |
2010年 | 鈴鹿サーキット | 10月10日 | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 小林可夢偉7位 | 大雨の影響により予選を午前中に開催 |
2011年 | 鈴鹿サーキット | 10月9日 | ジェンソン・バトン | マクラーレン | 小林可夢偉13位 | |
2012年 | 鈴鹿サーキット | 10月7日 | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 小林可夢偉3位 | |
2013年 | 鈴鹿サーキット | 10月13日 | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 未出走 | |
2014年 | 鈴鹿サーキット | 10月5日 | ルイス・ハミルトン | メルセデスAMG | 小林可夢偉19位 | フルウェット 赤旗終了 ジュール・ビアンキ事故死 |
2015年 | 鈴鹿サーキット | 9月27日 | ルイス・ハミルトン | メルセデスAMG | 未出走 | 全車完走扱い |
2016年 | 鈴鹿サーキット | 10月9日 | ニコ・ロズベルグ | メルセデスAMG | 未出走 | 全車完走 |
2017年 | 鈴鹿サーキット | 10月8日 | ルイス・ハミルトン | メルセデスAMG | 未出走 | |
2018年 | 鈴鹿サーキット | 10月7日 | ルイス・ハミルトン | メルセデスAMG | 未出走 |
FSWは最終日、シャトルバスの渋滞でレース開始に85人の客が間に合わないという事態が起きた。加藤社長は「チケット代、経費、泊まりの場合は旅館代などもお返しする予定です」と謝罪した。夕刊フジの取材によると、“被害”は数百人に上ったとみられる。29日も、敷地内の道路が陥没してバスが止まり、約2万人の観客を3−5時間待たせた。
川崎市に住む30代の夫婦は、7万1000円の最高額チケットを2枚購入しながら、スタートに間に合わなかった。FSW定のオートキャンプ場を午前11時に出発。バスが渋滞にはまり、運転手から「あと2時間はかかる」といわれ、徒歩で約1時間半も歩いたが午後1時半のスタートに間に合わなかった。モーターキャンプ場にも宿泊料5万円を払ったが「テントが張れる場所がなく、払い戻しなどを求めたけれど無視された」とダブルショックに見舞われた。今回は「チケット・アンド・ライド方式」を採用。自転車や徒歩さえ禁止されたが最終的に人の足に頼らざるを得なかった。
「見えない観客席」も出現した。指定席の仮設スタンドC席(入場料6万1000円)の観客約7000人から苦情が噴出し、3億5000万円以上が払い戻されることになった。常設スタンドとの勾配差が原因で、C席は10日ほど前に完成していたが、座席からのコースの見え方を確認していなかったという。
トヨタとFSWは大会直前、問題発生を懸念する夕刊フジの取材に「シミュレーションの結果は万全で、問題は起こらない」(トヨタの高橋敬三モータースポーツ部長)と胸を張っていた。今回のGPでトヨタは惨敗。富田会長「お客さまの声を謙虚に聞いて、システムを進化させることが義務であると感じています」。(以上、一部略)
*1:1976〜77にも同所で開催された