概念としては古代中国の文明発祥の地が黄河流域であると考えられていた時代に制定された名称。概ね、「古代中国文明」の意で使われていた。
現段階の知見に合わせるのであれば「古代中国文明のうち、黄河流域にあったものの総称」とか、その程度に再定義する必要があると見られる。
もともとは20世紀初頭に黄河流域での発掘によって古代文明の存在が確認され、そこからエジプト文明(ナイル川流域)、メソポタミア文明(ティグリス・ユーフラテス流域)、インダス文明(インダス川流域)とあわせて四大文明とするという概念が提出された*1。
当時の考え方では、黄河流域で農耕や土器の利用といったことが行われるようになり、その文明が中国各地に波及したと考えられていた。
が、その後、中国各地の発掘調査が行われると、単に黄河流域というに留まらない古代文明の実体が明らかになってきた。ことに、新石器時代の文化が黄河の中流域と下流域では別系統であることが判明したことと、長江流域を筆頭とする他地域の存在が明らかになったことで*2、旧来の「黄河文明」という概念が成り立たなくなったのは明らかだった。
現在もなお発掘調査が続いている分野であり、学問的に確定しているわけではないが、「古代の中国に繁栄した文明」を意味する語としては、「中国文明」ないしは「長江・黄河文明」みたいな名称を用いるべきではないかと考えられている*3。