80年代のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは投手。背番号は29→26番。
1957年3月10日生まれ。 高知県出身。
高知商業高校で1974年夏の甲子園出場。
卒業後、明治大学に進学し、東京六大学野球通算21勝を挙げる。
1979年、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。
1987年には、63試合のリーグ最多登板でジャイアンツのリーグ優勝を支えた。
1990年、西岡良洋との交換トレードで西武ライオンズに移籍。
同年、ファイアマン賞を受賞。
潮崎哲也・杉山賢人と共にリリーフの三本柱としてライオンズの黄金時代に貢献。
1996年、セーブポイントの日本記録を樹立。
1997年、現役引退。現役通算755試合に登板。
2001年、米国マイナーリーグへコーチ留学。
2002年、読売ジャイアンツのヘッドコーチに就任。
2003年、退団。
2005年、茨城ゴールデンゴールズのヘッドコーチに就任。1年で退団。
2006年、ワールド・ベースボール・クラシック日本代表のヘッドコーチに就任。
現在は野球解説者の側ら、マスターズリーグ・札幌アンビシャスの選手として活躍。
息子は鹿取真央。