劉備は諸国を放浪していた時に、劉表の下にいたこともあった。
劉表と食事をしていた時に、中座して厠に行った。自分の腿の肉を見て、馬に乗らないゆえに垂れ下がっているのを知ると、自分には戦功を立てる機会に恵まれないのかと嘆いたという。
これがきっかけとなり「脾肉の嘆」の故事が生まれた。
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若い頃は、うだつの上がらない自分の生活ぶりを、髀肉の嘆、などと言っておりました。 当時の自分の年齢からすれば、臥竜、の方がしっくり来るぐらいでしたが。 それから幾歳も重ね、今の僕はまさに、髀肉の嘆、だなぁ、と。 劉玄徳の髀肉の嘆は、北方で袁紹が曹操に敗れてしまい、荊州に逃げこんで居候していた時期の話ですね。 その時の荊州の領主は劉表で、転がり込んできた劉玄徳に領内北方の城を与えます。対曹操最前線に置いたわけです。 この頃の劉備は、不遇ではありましたが、特に何かがあるわけでもない、彼の人生の中では静かな時だったと思います。野望は大きい人なので、その平和を楽しんではいなかったでしょうがね。 立ち位…
私の人生において、というと大袈裟ですが、この2年、いや3年が、今までで一番、停滞している時期だと思います。 ふと、親父が今の自分と同年代だった頃を思い出すと、バリバリにやっていたなぁ、と。 それに引き換え、私は、雑務をちょっとやって、そそくさと帰る日々です。 耐える、とか、努力するなどの行動は、主観的なものではありますが、その内容は様々です。 勉強してみたり、とにかく動いてみたり、という努力は、見た目にもわかりやすいですが、じっと耐える、というのもまた、ひとつの努力だと、私は思っています。 三国志、劉備の「髀肉の嘆」などは、じっと耐える努力の代表的な例だと思うのですが、あれも、耐えた後に飛躍が…
2021年3月20日第1刷発行 帯封「中国歴史小説の第一人者が雄大な世界へいざなう 『三国志の世界を知ることは、宝の山に踏み込むようなものかも知れません』 これから読みたい人にも最適」「・三国時代と三国志の時代の違いとは ・外戚と宦官の争いが後漢王朝を衰弱させた ・ことばの力によって大国・魏を創った曹操 ・薄情な劉備がなぜ蜀の皇帝になれたのか ・若さに満ちた政権を率いた呉の孫権 ・「水魚の交わり」「泣いて馬謖を斬る」…物語を彩る名言 ・英雄たち亡き後の三国志の世界」 表紙裏「『演義』と『正史』の違いから、曹操、劉備、孫権、袁紹、董卓、呂布など英雄たちの生涯、『泣いて馬謖を斬る』などの名言の由来…
ちょこざっぷに通い始めて二ヶ月くらい経った。入会グッズと夏特典もゲットできた。メモを残す。 頻度は週二、三回。土日と週半ばに一回が基本だが、仕事、買い物、図書館などで行けないこともある。それでも最低週二回は行っている。 最初はひたすらエアロバイクを漕ぐだけのつもりだったが、トレッドミルで走ることにも手を出してみた(足を出してみた?)。これが案外おもしろい。だが、油断するとコケて流れていきそうで怖い。トレッドミルのほうが全身を動かしているぶん、運動している感はあった。 他の店舗にも行ってみた。マシンや照明の明るさ、広さなど違いはあれども、雰囲気は変わらない。ちなみに、そちらの店舗では紙タオルに消…
・188年に黄巾党の残党をまとめ白波賊を組織しました 郭太→かくたい ・216年に魏王を名乗った中国・三国時代の武将 曹操→そうそう ・265年に魏の元帝の禅譲を受け西晋を建国しました 司馬炎→しばえん ・TV番組『人形劇 三国志』で劉備の声を演じたタレント 谷隼人→たにはやと ・賈侯渠と呼ばれる大運河を築いたことでも知られる魏の政治家です 賈逵→かき ・魏によって滅ぼされた古代中国の王朝です 後漢→ごかん ・「魏の五将軍」の1人にも数えられる勇猛果敢な武将です 于禁→うきん ・姜維率いる蜀軍が魏に大敗した西暦256年の戦いは「?の戦い」 段谷→だんこく ・「建安の七子」の一人に数えられる文学…
goldhead.hatenablog.com ちょこざっぷ(ChocoZAP)に通いだして一ヶ月ちょっと経ったのでメモ。 頻度 一週間に三回。具体的には土日と、ウィークデーの火・水・木のうちのどれか、ということになる。土日と続けるのはよくないのかもしれないが、コロナになって以来、土日に部屋にこもりきりで競馬ばかりしていた頻度が増えたの解決したいというのがあって、こうなった。まだそういう段階ではないのは承知で、土日で同じマシンを使わない。土曜は上半身、日曜は下半身、としている。両方ともエアロバイクがメーンだが。 体型の変化 おれがちょこざっぷに通うようになった理由は「髀肉の嘆」なのであって、太…
以下は、例にもれず私の妄想なので、それを前提でお願いします。 さて。 世界中の注目を集め続けている、そして私が何度もブログネタにしてしまっている、某国の侵略戦争の話。 ここ最近も、目まぐるしい情勢の変化があるが、その中でも、R国のP氏(P大統領ではなく、民間軍事組織Wの総帥)について、思うところが多い。相当な策士と言えると思うが、彼は歴史によく学んでいる、とも言えるかも知れない。 私としては、三国志の劉備玄徳を彷彿させると思う。劉備は、義勇軍という「私兵」を率いて歴史の舞台に上がった。他の曹操や袁紹などはみな「官軍」である。 P氏も、民間軍事会社の兵士を率いている。つまりは「私兵」である。一方…