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藤原釜足

(映画)
ふじわらかまたり

黒澤映画の常連で知られる、俳優(藤原鎌足にあらず)。


明治38年、東京深川生まれ。本名、安恵重男。10歳で家業の印刷屋不振のため、麹町の菓子屋に奉公に出るが、小学校を卒業し、14歳で静岡の材木会社に就職。1年後帰京して、薬剤師を目指すが、時、浅草オペラ全盛とあって、オペラ俳優に憧れ、滝野川俳優養成所に入る。卒業後、浅草金龍館に出ていた黒木憲三に弟子入り。コーラスボーイとして舞台にたつかたわら、小柄で押し出しもきかぬ事を自覚し、楽器を扱える役者を目指そうと、東洋音楽学校に通いヴァイオリンを習う。
震災等でオペラが衰退する中、川崎の映画館に楽士として入る。結婚をし、1男をもうけるが、妻を病で失う。その後、旧知のエノケンに誘われ、カジノ・フォーりーに参加する。この時、藤原秀臣と名乗る。その後、プペ・ダンサントに参加。サトウ・ハチローより、アドバイスを受けて、藤原釜足と改名。エノケン脱退後には主役級として活躍するも、昭和8年退座。映画俳優へ道を進む。PCLに専属契約。様々な映画に出演するが、軍国主義の台頭とともに芸名が不敬だとされ、鶏太に一時名を改める。昭和11年、沢村貞子と結婚するが、10年後離婚。これを機に舞台も多くつとめるようになる。
昭和23年からはまた映画に専念するようになる。黒沢映画にも多く出演し、名脇役としてその名を馳せた。
昭和60年、没。

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