平安時代中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。
天禄三(972)年生、正暦五(994)年没。
後一条太政大臣・法住寺殿藤原為光(恒徳公)の三男。母は一条摂政藤原伊尹女。兄には藤原誠信・藤原斉信が、弟には藤原公信がいる。
従四位上左近衛中将までいたったが、正暦三(992)年に父の死にあうと多くの哀傷歌を作って嘆いた。その二年後、自身も早世。藤原実方・藤原公任とはとくに親しく、頻繁に和歌の贈答をしていた。
家集は『道信朝臣集』。「拾遺和歌集」をはじめとして勅撰集に約四十八首入集。
明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな
百人一首 52/後拾遺和歌集 巻十二 恋二 672