70〜90年代のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは捕手。背番号は39→9→22→99番。
1953年12月5日生まれ、福岡県筑後市出身。
柳川商業高校*1から1972年、ドラフト4位で西鉄ライオンズに入団。
1977年、一軍に定着。
1979年、田淵幸一・古沢憲司との2対4の交換トレードで、高校の同級生でもある真弓明信・竹之内雅史・竹田和史と共に阪神タイガースに移籍。
移籍後も正捕手として活躍し、同年、ダイヤモンドグラブを受賞。
1982年、退団。その後ニューヨーク・メッツ傘下3Aタイドウォーターのコーチ兼選手となる。
1983年、横浜大洋ホエールズで日本球界復帰。
近藤貞雄監督の下、ホエールズの正捕手を務める。
ウォーレン・クロマティとの駆け引きは有名であった。
1989年、近藤貞雄が監督に就任した日本ハム・ファイターズへ移籍。
1991年、現役引退。
引退後はTVKの野球解説者を務める。また、台湾プロ野球のコーチを務めた。
1997年、福岡ダイエーホークスのバッテリーコーチを務め、城島健司を育てた。
2001年、タフィ・ローズ敬遠問題での発言の責任を取り、退団。
現在はTVQ九州放送・J SPORTSの解説者、スポーツニッポン野球評論家。
また、マスターズリーグ・福岡ドンタクズでも活躍中。
*1:現在の柳川高校。