冷え切った心は、北極の氷と何が違うのだろうか。 人々の心の中にある氷は、交差点を流れる氷河のようで、 もし、そこで立ち止まって振り返ったら、人は砂のような冷たい粒になって、 無数に、無辺に、取り込まれていくのかもしれないのです。 それは粒子としては合理的であり、存在としては理知的でもあり、 そして誰もが、この合理性を説く最先端の思考を、現実だと思い込んでいるのです。 私たちの罪は、むやみに何かを信じ込むことで、 知らず、知らずに、「もしも」という仮説の中に埋没することにあるのです。 摂理とは、超現的なものを指すのではなく、自然の、当たり前の有り様を指すのであり、 その当たり前であるものの中の「…