案内板「 口を開けて子等 守山あたり 昭和四十年代、俳人加藤楸邨は奥の細道をたどる旅に出ている。 その様子を『奥の細道吟行』に次のように記している。 私どもも七月七日守山に向かう。新暦で七夕を祭る家もある とみえて子供たちが竹を担いで通る。 芭蕉の通った旧道を岩作あたりでカメラに収める。 野茨は実になったものが多いが枝先の方はまだ白い花を留 めている。旧道は青田の中をうねって、道ぞいに野茨をちり ばめているのである。右の方はるかにそびえているのが 雲水嶺であろう。霊山にこもる前、北畠氏のいた山だという。 守山の宿の入り口が杉の木立の間から見えてくる。 田から昼餉にもどる人々に逢う。 岩作の辺り…