第53代天皇。名は大伴、上皇の御所とした淳和院を西院とも称したので西院の帝とも呼ばれる。 桓武天皇の皇子。母は藤原旅子(式家・藤原百川の娘。宇合の孫。) 平城天皇、嵯峨天皇の異母弟。光仁天皇の孫。 在位823年4月16日〜833年2月28日
薬子の変によって立太子。強大な嵯峨天皇の影響力の下でその治世中は平穏であった。 漢学に優れ、「令義解」「経国集」を編ませた。 歴代天皇の中でただ一人、自らの意思で火葬の後その遺骨は散骨された。
前回、藤川駅から岡崎公園前駅まで歩いた。今回は岡崎公園前駅から知立駅まで歩こうと思う。「31.御油駅~藤川駅」で入った岡崎市をあとにして、安城市を通過、知立市に入っていく。名古屋市にだいぶ近づいてきた。 1.矢作橋 2.矢作神社 3.薬王寺 4.安城市に入る 5.永安寺 6.知立市に入る 7.来迎寺一里塚 8.知立松並木 9.知立神社 初回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 前回記事はこちら↓ octoberabbit.hatenablog.com 1.矢作橋 今日は岡崎公園前駅からスタートだ。 岡崎公園前駅 前回終了地点の中岡崎町交差点に到着したら、左折し…
嵯峨天皇『凌雲集』、『文華秀麗集』 淳和天皇『経国集』 ふつうは、勅撰漢詩集は 『凌雲集』、『文華秀麗集』、『経国集』 とおぼえておけば大丈夫です。 ★慶応大学では、淳和天皇『経国集』が出てます。 あと、『懐風藻』 とよく間違えるので注意しましょう。 『懐風藻』は奈良時代です。 天平文化で、最初の漢詩集 です(勅撰ではない)。
空海は774年、四国・讃岐に地方官吏だった佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)の子として生まれました。18歳で大学に入りましたがその2~3年後に山林修行に入り私得度僧として出家しましたが出家後の足取りは不明ですが、804年の32歳の時に最澄と同じ遣唐使船団で正式な僧侶として入唐します。空海がいつ正式に受戒得度したかは不明ですが一説には東大寺戒壇院で具足戒を受けたと言われています。入唐に当たって、最澄が還学生だったの対し空海は留学生でした。そこで最澄とは違い唐の都の長安まで足を延ばし青龍寺の密教系第7代祖師の恵果に師事しました。その密教の秘法を学んだ空海は翌805年に恵果から伝法阿闍梨の灌頂を受け…
土曜日に「地獄ですよ」と他人様にお勧めしながら(どういう勧め方だ)、日曜日の回はそこまで地獄でもないな、とか思いつつ、兼家パッパの衰えぶりに中関白家の短い栄華到来を感じながら、藤原定子を演じた高畑さんがローティーンに見えてしまうのに驚き、大河に出演する俳優さんはレベルが高い人が多いなぁ、と。 そして最後の最後に道長とまひろが地獄を見せてくれました。うはー。まぁ道長もう一人の妻、源明子が楽しい時に笑えなくて、人を欺く、陥れる時しか笑えないという、一人で地獄を体現している人なんですけど。そういえば何時頃から古代の女性名を訓読みするようになったのですかね。ちょろりと前は読み方が判らないから音読みして…
四国と言えば八十八ヶ所めぐりをイメージされる方も多いのではないでしょうか。 各地を巡礼する行事で、愛媛県を訪れる目的にされる方も多くいらっしゃいます。 今回は【愛媛県で四国八十八ヶ所巡りをするならおすすめは?観光で行きたいお寺11選】についてご紹介していきます。 全てのお寺を巡ると大変お時間を要しますので、ここでは一度は訪れたいお寺について見てきましょう! 愛媛県の八十八ヶ所めぐりについて! 愛媛県最初の八十八ヶ所!【40番:観自在寺】 アクセス方法 四国霊場唯一の茅葺屋根!【42番:仏木寺】 アクセス方法 お寺巡りでも特に人気が高い!【51番:石手寺】 アクセス方法 お車で行ける四国八十八ヶ…
久しぶりに天気が回復したので、昨日、以前から気になっていた所を訪れた。 これは、大谷選手の話題とは異なり、かなりマニアックで、古代に興味がない人には退屈な話だけれど、古代の重要鉱物である丹生=辰砂=硫化水銀や、現在、大河ドラマでやっている平安時代の10世紀から11世紀のことに関心のある人は、少しは気になる話かも。ただ、いずれにしろ、日本の歴史を捉え直すうえで、とても重要なこと。 昨日、私が訪れたのは、松尾大社の近くの私の家から、ちょうど真東に大文字山が見えるけれど、その少し南、安祥寺上寺跡というところ。 この場所に立つと、南側に山科盆地、その向こうに奈良盆地を見渡せ、盆地の彼方に、吉野の山々が…
前回(2024/3/11)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第32歌です。1.経緯 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-32歌は、「第七 乗り越える歌群(4首 詞書3題)」の第4首目である。3-4-28歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを再確認した。3-4-29歌~3-4-31歌は類似歌とは歌意が異なっているが恋の歌の再確認は保留している。 歌は、『新編国歌大観』より引用する。 2.再考の結果概要 3-4-32歌 ① 『猿丸集』の第32番目の歌と諸氏が指摘するその類似歌は…
寝屋川市木屋の「鞆呂岐神社」再訪。 「鞆呂岐神社」へは、2012年4月と2016年1月に参拝してるので3度目に成りますが、2012年の時は雨の中一之鳥居をくぐった処で拝殿を仰ぎ見ただけ、2016年の時は19時少し前辺り1月の事ですでに夕闇が境内を覆っていましたが、新年2日の事で参拝者もチラホラ来られてて淡い灯篭に導かれてお詣り。 と言う事で、ゆっくりお詣りしたのは今回が初めて感が有り結構新鮮でした。 社伝によると創建は淳和天皇の 861年(貞観3年)、淀川河川流域の平野が広がっていたこの地に堤が何か所か築かれ耕作可能地が広がり人々の営みが豊かに成り地元有志の神社建立の勧請により「水無瀬神宮」よ…
日本三大龍穴の1つと言われているらしい。「吉祥龍穴」室生龍穴神社の奥宮になります。室生龍穴神社を出て左、室生寺とは逆の方へ県道28号を進むと左手に「吉兆龍穴」の案内版が見えてきます。室生龍穴神社から車で2,3分、徒歩で20分程です。駐車場は4,5台程度しか置けず、途中の道が狭いらしいという情報があった為、途中の道幅が広く安全そうな路肩に停め、徒歩で行きました。山道なので最初は上り坂になります。蛇行した坂道が続きます。冬だったので歩いて体が温まりました。しばらく歩くと天の岩戸が見えてきました。 <天の岩戸> 手前左側の方が開いていたので、ここに駐車できたのかな。天の岩戸が開いた時を連想させるよう…
ランキング参加中歴史 導入 結局、両統迭立ってなんやねん 両統迭立は何回あったのか 両統迭立は実際何回あったのか(検証) 仁徳天皇の子孫 継体天皇の子孫 欽明天皇の子孫 敏達天皇の子孫 舒明天皇の子孫 桓武天皇の子孫 仁明天皇の子孫 村上天皇の子孫 鳥羽天皇の子孫 後白河天皇の子孫 後鳥羽天皇の子孫 後嵯峨天皇の子孫 光厳天皇の子孫 後水尾天皇の子孫 東山天皇の子孫 光格天皇の子孫 終わりに 参考文献 書籍 webページ等 導入 タイトルの「両統迭立」がまず読めるかって話ですよね そしてその意味はなんやねんって話ですよね 以下、広辞苑第6版より引用 両統迭立(りょうとうてつりつ) 鎌倉後期、大…
平安時代について断片的な知識しかなかったので、 平安時代の出来事を年表にまとめた。 関連記事 参考 平安時代の概要 平安時代の小区分 平安前期 平安中期 平安後期 平安時代の文化 悪霊と祈祷の時代 平安時代の出来事 平安前期の出来事 781年 (天応元年) 桓武天皇 即位 794年 (延暦13年) 平安京に遷都 800年(延暦19年) 富士山が噴火 (延暦の大噴火) (805年 (延暦24年) 最澄 が 比叡山延暦寺 を創建 806年 (大同元年) 平城天皇 即位 806年 (大同元年) 空海が 高野山金剛峯寺 を創建 807年 (大同2年) 伊予親王の変 809年 (大同4年)(809年) …
「初午」(はつうま)とは、 2月最初の「午の日」のことで、 稲荷神のお祭りが行われる日です。 稲がなることを意味する「稲生りいねなり」から、 五穀豊穣や商売繁盛、家内安全を祈願して、 各地の稲荷神社でお祭りが行われます。 令和6(2024)年の「初午」は2月12日で、 「二の午」は2月24日です。 「初午」とは 由来 縁起物の「しるしの杉」 二の午・三の午 馬に因んだお祭り 火の用心 日本各地の初午祭 稲荷神社の総本社・伏見稲荷大社の初午大祭【京都府】 笠間稲荷神社の初午祭【茨城県】 祐徳稲荷神社の初午祭【佐賀県】 冠稲荷神社の初午大祭【群馬県】 鹿児島神宮の初午祭【鹿児島県】 豊川稲荷東京別…
空海により日本にもたらされた密教の教え。空海はそれに独自の解釈を加え、更に発展させる。彼が打ち立てた真言の理論は、天才が収集・編纂した故に、それ以上の解釈や発展がなかなか進まなかった、と言われているほどである。彼の先進性を示す一端として、「十住心論(じゅうじゅうしんろん)」の障りの部分だけ紹介してみよう。 正確には「秘密曼荼羅十住心論」というこの著作は、そもそもは淳和天皇が各宗派の第一人者に「それぞれの教義を記して提出せよ」と下した命に応え、空海自らが著して提出したものだ。 この著作で空海は、仏教における密教の立ち位置を素人でも分かるように定義している。その定義を表にしたのが、下記の画像である…
当ブログでは天理市内を中心に、上街道沿いの町並みや旧跡をこれまでいくつか紹介してきました。 今回ご紹介する長岳寺は、上街道沿いというよりは「山の辺の道」沿いと言った方が適当かもしれませんね。 奈良県天理市は石上神宮や黒塚古墳、崇神天皇陵といった古代から続く神社や旧跡が数多く残る歴史ある地域ですが、県内の他の旧跡密集地帯とは違って、大規模寺院の空白地域になっています。 というのも、現在の天理市域は明治に起きた廃仏毀釈の動きが奈良県内でも激しかった地域の一つで、江戸時代まで残っていた古刹の多くが神宮寺だったこともあり、内山永久寺をはじめとした歴史ある寺院の殆どが廃寺となってしまったからです。 多く…
『大鏡』は「さいつころ(先だって)雲林院の菩提講にまうでて侍りしかば(聴聞に参った時)、例人(普通の人)よりはこよなう(格段に)年老い、うたてげなる(薄気味悪いような)おきな二人、おうなといきあひて、同じ所に居ぬめり(座が定まった)。「あはれに(まったくもって)同じやうなる者のさまなる」と見侍りしに、これらうち笑ひ見かはして言ふやう、」と、百九十歳の大宅世継と百八十歳の夏山繁樹が嘉祥三年(880)から万寿二年(1025)までの宮廷における藤原家の華々しい歴史を語り交わすのであるが、その舞台となったいまの紫野大徳寺の辺りにあったという雲林院の菩提講には「それなり」の理由があるのであろう。大寺ある…