13 再び『海舟日記』の中の俊五郎の姿を追うこととする。明治13年は1月1日に「滝村小太郎。村上俊の火鉢五ツ出来につき二十五円遣わす」とのみある。滝村小太郎は、徳川宗家の家夫溝口勝如の配下である。火鉢は徳川宗家からの注文だったのだろうか。火鉢一つ5円。俊五郎は火鉢の製作で糊口をしのいでいたのか、それとも徳川家からの特別の依頼だったのだろうか。この後も徳川宗家へ俊五郎作成の火鉢や家具を納めている事実がある。翌明治14年も「五円、村上へ遣わす」とあるだけであり、明治15年の海舟の日記には俊五郎の名を見ることはない。当時の俊五郎は比較的安定した生活を送っていたのかも知れない。もっとも、海舟と俊五郎の…