日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて3番目の宿場。
また、北は日光街道と連絡し、南の府中通り大山道とは荒川の渡し場2箇所、羽根倉の渡し(現・埼玉県志木市内)と秋ヶ瀬の渡し(現・埼玉県さいたま市内)によって繋がっていた。
所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡浦和郷浦和宿。 現在の埼玉県さいたま市浦和区(旧・浦和市)にあたる。 浦和宿は上町(のちに常盤町)・中町・下町(のちに高砂町)からなり、現在は区画整理を経て常盤・仲町・高砂がそれぞれ対応している。