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永田洋子

(一般)
ながたひろこ

日本の新左翼活動家。連合赤軍の元幹部。連合赤軍中央委員会副委員長。リンチ・殺人の容疑により、死刑囚となった。ファーストネームを「ようこ」と読まれることがあるが、誤り。正しくは「ひろこ」。
1945年2月8日東京都生まれ、 2011年2月5日、死刑執行前に病気により獄死。

経歴

共立薬科大学(現・慶應義塾大学薬学部)在学中に、日本共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派の学生組織に参加。日本共産党(革命左派)神奈川県委員会の幹部となる。1969年末の川島豪議長らの逮捕以後は指導部の投票により、事実上のリーダーとなった。当時、永田は最高指導者にふさわしい人物とは見なされていなかったが、機関紙が書ける、重役についていないので余裕がある、(他のメンバーが)自分はやりたくない、といった理由で最高指導者に選出。永田はその後、指導部の最高責任者として上赤塚交番襲撃事件や真岡銃砲店襲撃事件に関与。
1971年より共産主義者同盟赤軍派との連携し、やがて統一組織連合赤軍を結成した。
1972年2月に資金集めのために委員長の森恒夫とともに上京し、その帰りで警察に逮捕された。連合赤軍の同士討ちの中心メンバーとされ、1993年2月に最高裁判所で死刑判決が確定。脳腫瘍を煩いながらの裁判だった。2011年2月に東京拘置所で死去。

その他の影響

またのちに事件を回想するに上で、少女漫画風のスタイルをとったことが、「突然嘔吐感に襲われた」(四方田犬彦『ハイスクール1968』より)など、一部の知識人に複雑な感情を抱かせた。

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