1911年-1976年。フランス文学者。哲学者。パリ大学教授。祖父に森有礼をもつ。 パスカル、デカルトなどフランス17世紀哲学の研究者として出発。1950年渡仏後、パリに定住。 その時期を中心に書かれた多くのエッセー群は、「思想的エッセー」として名高い。 著書は、『森有正エッセー集成』全5巻(ちくま学芸文庫)など。 リスト::学者
テリトリー、外、内、辺境 辺境に身を置いた人たち 言葉は外と内から辺境へとやって来る 辺境としての自分 夢の言葉、言葉の夢 テリトリー、外、内、辺境 昔の話です。 「仏文学は澁澤龍彦、独文学は種村季弘(たねむらすえひろ)、英文学は由良君美(ゆらきみよし)」――そんなふうに、一部の人たちが口にしていた時期がありました。三人に共通するのは、博覧強記というところでしょうか。在野、アカデミックな場と、身を置く場所は違いましたが、それぞれが持ち味を生かしながら、いいお仕事をなさっていました。 澁澤龍彦 - Wikipedia 種村季弘 - Wikipedia 三人のなかでは、由良君美がいちばん一般的な知…
どこへ向かって死ぬか作者:片山 恭一日本放送出版協会Amazon 森有正。どうして、彼の名を知ったのだろう。当時、愛読していた辻邦生の作品からかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、家族と職業を投げうって、故国 日本を捨てて、単身、パリで暮らし始めた男がいた、というのを知った。 当時、私は所沢で初めての一人暮らしをしていたが、睡眠薬が残った醒めきれない頭で、『バビロンの流れのほとりにて』を読んでいた。彼はリルケを愛読していた。ああ、私に似ているな、と一人納得した。唯一、分からなかったのが、その本のタイトルだが、今では『詩篇』137のオマージュであると分かる。 われらバビロンの河のほとり…
哲学者 森有正の情婦による回想記メモワール。 そう言ったら著者の栃折久美子に怒られそうだが、相方の森有正は否定しないだろう。「不倫は恋愛のもっとも純粋な形式である」と、彼はどこかの定義に書いていたはずである。 本書には辻邦生など、森が生前親しくしていた人々が等身大の姿で出てくる。辻の評論・回想記に『森有正:感覚のめざすもの』というものがあるが、こちらは小説家のペンを通して析出された哲学者の姿だが、栃折久美子の『森有正先生のこと』は装幀家が人生の黄昏にようやく綴った等身大の男の姿である。その不慣れな筆致からは、森の他人の厚意に頼らざるをえない生き方、ある種の常識外れ、金遣いの荒さなどが伝わってく…
内村鑑三 (講談社学術文庫 64)作者:森 有正講談社Amazon 『内村鑑三』の初版は1953年に刊行された。森有正がフランスに留学したのは1950年だが、本書の「解説」によると、それよりも前に書かれたものらしい。フランス留学が、現地に留まるために大学教授の職を辞して、生活を続けたことが、彼に自由な、個性的ユニークな思索を促し、『バビロンの流れのほとりにて』、『遥かなノートル・ダム』などの代表的な作品を記す契機になったことは間違いない。それ以前の著作は、『パスカル』、『ドストエーフスキー覚書』など、先達の思想家についての研究書が主であり、本書もその一つに数えられるが、通読すると分かるように、…
序列をこえた社会に向けて やまゆり園事件最首悟さんの手紙 最首氏の手紙42通を読んでみて、私が感じたことは、私たちの社会には「優正思想」※が根強く存在しているということ。 人を生産性のある人、ない人で見てしまうこと、生産性のない人は価値のない人、と思う傾向にあるということです。 根底には、「働かざる者、食うべからず」という考え方は近代社会の鉄則です。 ※優生思想 www.dinf.ne.jp が、しかし、人間は1人では生きていけないのです。 生まれたばかりの赤ちゃんは、母親のお乳(人工乳)がなければ死んでしまう。 親もまた、そういう赤ちゃんによって生きる喜びを感じることができる。 人はお互いに…
あのコは加工肉が好き 数字遊び ④ ブログ~数字遊び~のシリーズは、今回で最終回 森有正の用語で使いたいものがある。 「現実嵌入」という。 日本語は非常にユニークな言語である。どういうふうにユニークか?一言でいえば、日本語は語る人と聞く人の二人で具体的な関係の中でしか成立しない。『映画未満 ⑤章』より。 日本語をパリで教える事によって、言語を客観視し、森有正の日本語への気づきはある。 日本語は相手で言い方が変わる。ここが外国言語との違い。 誰に対しても「俺」や「私」や「僕」と言う訳でもないし、誰に対しても「あなた」や「お前」や「君」と言うわけでも無い。 関係を当てはめて、その現実が現れる。(そ…
あのコは加工肉が好き 数字遊び ③ 好きな(お目当ての)数字を言ってみて下さい。 …3? OK 3は、「小津安二郎の正面性」 次……なんでもいい。ただ浮かんだ数字でもいい。どうぞ。 …7?はいはい。 えー…7は「テープレコーダー録音の雑音の多さ。僕らは選んで`聴いている`。機械の客観的音が現実なのか、それとも必要な音だけ聴き分ける主観的音が現実なのか⁈」 …ランダムに行ってみましょうか…数字と内容を結び付けといて下さい。 …9 「キュビズムについて」 …5 「森有正の`現実嵌入(かんにゅう)` について。誰でも学べるパブリックな場と、プライベートな関係に入る師弟関係」 …6 「現実は最初プライ…
海老坂武『戦後文学は生きている』(講談社現代新書)を読む。フランス文学者で大江健三郎の東大での同級生だった海老坂武が日本の戦後文学から20冊を選んで紹介している。 取り上げられた20冊は、 日本戦没学生記念会編『きけ わだつみのこえ』 梅崎春生『桜島』 原民喜『夏の花』 大岡昇平『野火』 開高健『輝ける闇』 坂口安吾『堕落論』 石川淳『焼跡のイエス』 中野重治『五勺の酒』 堀田善衛『広場の孤独』 鶴見俊輔『転向研究』 丸山真男『日本の思想』 高橋和巳『わが解体』 安岡章太郎『海辺の光景』 小田実『何でも見てやろう』 安部公房『砂の女』 大江健三郎『万延元年のフットボール』 森有正『遙かなるノー…
ランキング参加中読書 本や論文の執筆するようになってから、もっと若い頃に読んでおけばよかったと思った本があります。それが、本多勝一『新装版 日本語の作文技術』(講談社、2005年)です。文庫本も出ているので多くの方が参照されているのだと思います。『学び直しで「リモート博士」』(アメージング出版、2023年)でも必読書として紹介しました。 正直に言うと本多氏が提示している技術の8割以上、私は実践できていないと思うし、覚えきれてもいません。ただ、日本語というのはこんなにも論理的な言語なのかと気づかされ、その後の自分の執筆に大きな影響を与えたのだけは事実です。 日本人の中には、日本語に対する劣等感の…
本屋で、図書館で、本を眺めるのが好きなんです。 時間があるときは、書棚と書棚の間を背表紙を眺めながらただただ歩きます。 向こうから手招きしてくれるような本もあるかと思うと、 「近寄るなよ!」と言わんばかりに、ワタシを拒むような本もあります。 そんな中で、目に入れば必ず手に取ってしまう本もあります。 岸見一郎さんの本も、そんな類いの一つです。 そして、ワタシにとってはハズレということがない。 本を読むときは付箋をしおり代わりにしています。 気になった箇所にはペタッと貼り付けて、 一通り読み終わった後に、付箋の箇所を再読します。 『数えないで生きる 』を読みました。 読み終わって見ると、おびただし…
ネットで面白いやり取りを見つけた。以下はそのままの引用である。 問い:友達いなくても生きていけますよね? 以下、回答: 私は70歳手前の隠居人です。昨年、二度と得られないだろう私にとっての親友が亡くなりました。なので現在、友達ゼロです。でも、もう作る気はさらさらありません。 厄介を持ち込んだり遊びに時間をとられる友達は欲しくないんです。 友達ゼロでも何にも気になりません。どの道、人は老いて一人で死んでいくのですから。 周囲に友達や家族がいたって、死ぬ時はたった一人ですから。 私自身は、子供の頃から気の合う友達?が2~3人ぐらいしかおらず、しかも、好かれて向こうから遊びに来たりすることはなかった…
茨城県に長く留まっていると、時々東京に遊びに行きたくなる。東京に観光スポットなんてあるかと言われそうではあるが、茨城県民からしてみれば東京は結構楽しめる。では、東京のどこで楽しむか。埼玉県民なら距離の近い池袋が妥当なところで、我輩も大学生時代に和光で寮暮らしをしていた頃は池袋のタカセ洋菓子の喫茶室に入り浸っていたものだが、茨城に住んでいると池袋はあまりに遠くて、どうしてもハードルが高い。長らく池袋に行っていないものだから、最近の池袋駅周辺の発展などもアド街ック天国を見る他に知るすべなどない有様だ。 茨城県民にとって、比較的アクセスのよい場所としては、まず上野と浅草であろう。JR常磐線とつくばエ…
神様は、聖書各書が書かれた同時代の言語・文化を器として、これにメッセージを載せて啓示をお与えになりますから、その同時代の言語・文化について理解を深めることは釈義をする上で有用である場合があることは、当然でしょう。しかし、では当時の言語や文化に通じていたら、正しく聖書が読めるのか、わかるのかというと、そうでもないのが不思議です。イエス様の同時代の多くのユダヤ人たちがイエス様を理解せず十字架にかけ、イエス様を宣べ伝えるパウロをユダヤ教の人たちは理解せず迫害してしまいました。イエス様もパウロも、同時代の文化から生じたことばではなく、上から与えられた啓示を語り、時代文化の言うことと異なっていることを教…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 中華儒教は、仏教を天帝・天子の皇帝一君独裁体制を滅ぼす革命宗教として弾圧していた。 中国仏教は、宗教弾圧から逃れて地方の山中や日本に逃げ込んできてた。 ・ ・ ・ 2023年11月15日7:04 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」? しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている! 中国、楽山大仏。photo/gettyimages 日本のお葬式や法事で耳にする「お経」が、チンプンカンプンでまったく意味が分からないのはなぜだろう…
ビードロ、ぎやまん、硝子 うつせみのあなたに 山のあなたの空遠く あなた(かなた)・彼方・貴方(貴男・貴女) マラルメとうつせみ ビードロ、ぎやまん、硝子 ガラス。硝子。ビードロ。ぎやまん。 ガラスという言葉で、ビードロという言葉を思い出しました。あれもたしかガラスじゃないか――と辞書で調べてみるとポルトガル語から来ているらしいのです。 西洋の事物が日本に渡来する順では、ポルトガル語が先でオランダ語が次だと学校で習った記憶があります。キリスト教の布教と経済活動つまり交易が目的だったわけですね。 ガラスを意味する上の言葉の中では「硝子」が気に入っています。 * ガラスという意味である「ぎやまん」…
中高一貫校に通っていたので、この時期の図書館体験はまとめて記しておく。 通学に一時間ほどかかっていたので、電車内ではよく本を読んでいた(スマホがなかったことに、心から感謝している―告白すれば、週刊誌やら漫画雑誌も実によく読んでいたが)。小学校の終わりの時期に通っていた図書館には、中学進学後も通い続け、通学中に読むのに簡便な文庫本をよく借りていた。 最初の頃は、ポプラ社のホームズシリーズの延長だっただろうか、推理小説が中心だった。アガサ・クリスティのものは相当読んだのではないかと思う。エラリー・クィーンについては、いくつかは読了したが、よくわからない、というか、推理小説としてのカタルシスを十分に…
きょうも鼻の調子が悪く、頭が痛いのでデスクワークにならないので、残っている有珠の沢2丁目を1時間ほど散歩してきました。とっても良いお天気でした。 そのあと、聖書を読み始めた人がいるので牧師室でバイブルクラス。今日は「聖書とは」という内容。彼にはある悩みがありますが、その悩みでなく神様に出会えるようにと導いています。 二十代に読んだ米国人の書いた教会成長論の本には「地域のニーズを見出し、そのニーズに応えよ」とありましたが、きっかけ程度は有効かもしれませんが、本質的に牧師の仕事はそういうものではないと思います。やはり二十代に読んだ、森有正の文章に、「人は何か問題を抱えて教会に来ます。でも教会に来る…
実家にあった本。教会学校でちょうどアブラハムのお話をしていることもあって。いつの頃からか教会学校のお話の準備していて迷うというか、これでいいのか…と思ってしまうこと。聖書物語の要所要所の有名なお話を飛び飛びでいく流れで、私の子どもの頃もそうだったし、ざっくり聖書全体の物語を繰り返し聞いていくことが子ども時代には大切だし、それでいいと思うのですが、今回も、6月に「バベルの塔」のところが当番で、「ノアの箱舟」から「バベルの塔」にいくのですが、「間の話」があるわけですよね。で、2ヶ月間新約になって、8月に旧約に戻って(うちで使っているテキストの場合)、いきなり「アブラハムという人がいました」でいいの…
モーセの生涯を想う時、モーセに限らずアブラハムに始まりパウロに至るまで、その生涯は苦難の「歴史」であった。私達は、少なくとも自分は、かの聖徒たちのように生きたいかと問われれば、イエス様には申し訳ないが「平(ひら)にご容赦を」と言わざるを得ない。そう言えばモーセも「私は口下手で・・・」とお言葉を固辞した事があった。また、「もう、沢山です、もう私はこの民を導くことはできない、私を殺してください」と、申し上げたこともあった。波乱万丈の生涯を、物語として読むには面白いが、わが身に降りかかってくるとなると話は別である。スタコラサッサと逃げるが勝ちである。丁度ヨナのように、タルシシへでも行って「難」を逃れ…