木田優夫は、日本のプロ野球選手。石川ミリオンスターズのゼネラルマネージャ兼任投手。
右投右打、ポジションは投手。背番号は41→19→11→60→41→42番。
1968年9月12日生まれ。東京都国分寺市出身。188cm95kg。
日大明誠高校−読売ジャイアンツ(1987年ドラフト1位)−オリックス・ブルーウェーブ(1998)−タイガース(1999-2000)−オリックス・ブルーウェーブ(2000-2001)−ドジャース(2003-2004)−マリナーズ(2004-2005)−東京ヤクルトスワローズ(2006-2009)−北海道日本ハムファイターズ(2010-)
1987年、ドラフト1位でジャイアンツへ入団。2年目に初勝利を挙げると3年目の1990年は12勝をマークし、最多奪三振のタイトルも獲得。しかしその後伸び悩み、1998年トレードでブルーウェーブへ移籍。中継ぎ・抑えで成績を残す。同年FA宣言をし、デトロイト・タイガースへ移籍。主に中継ぎを務めるも1年半のメジャー生活で1勝(1S)を挙げるにとどまり、2000年シーズン途中にブルーウェーブへ復帰。翌2001年オフに自由契約。その後メジャー復帰を目指し再度渡米、2003年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。シーズン終盤にメジャー昇格、3試合に登板する。2004年シーズン途中、シアトル・マリナーズへ移籍し、イチローと再びチームメイトとなったが、メジャーでの登板機会に恵まれず、2006年スワローズへ移籍。2010年には7球団目となるファイターズに移籍。
2006年のオールスターゲームは自身として16年ぶりの出場。プロ野球最長記録を作った。
明石家さんまとの交友でも知られていて、オフシーズンはさんまの番組に多数出演し、その持ち前のキャラクターを発揮している。五十嵐章人はいとこ。
北海道日本ハムファイターズ入団後も、自身の似顔絵をサインに描くなど、似顔絵も特技となっている。プレイの傍らで描いた似顔絵がポストカードになって来場者プレゼントになることもあった。2012年似顔絵グランプリという行事も行われ、札幌ドーム来場のファンによる投票で決められた。陽岱鋼を始め、稲葉篤紀、金子誠などの似顔絵が展示され、多くのファンが押し掛けた。
2012年、ファイターズ球団から退団が発表され、独立リーグの石川ミリオンスターズへの移籍が決定。
2014年シーズン限りでの現役引退を発表。