嵯峨に暮れて戻れば京は朧かな 日野草城。花見で一日過ごした嵯峨と、日が暮れて戻った京との間には「距離」がある。「京」ではない嵯峨から戻った市中が朧に霞んで見えるのは、その「京」と己(おの)れの間にもまた「距離」が出来ているということかもしれない。朧が素直にそのまま春の天気の現象であると読むのは平凡に過ぎ、ほろ酔い気分で戻ったのかもしれぬというのは不粋な読みで、むしろ酔っていないからこそ朧に見えるのを不可思議に感じているのではないか。その花見のあとの心が「揺れている」のが朧なのであろう。たとえば夢の中で住み馴れた町を見るような。六條はいとど朧やよるの雨 立花北枝。碓井小三郎が明治二十九年(189…