90年代のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは投手。背番号は20→46番。
1965年8月30日生まれ。大阪府守口市出身。
橿原高校から近畿大学、日本生命とアマチュア野球界で活躍。
1991年、ドラフト1位で福岡ダイエーホークスに入団。
1年目より一軍で登板。平和台野球場でのデビュー戦の際、清原和博から4打席連続三振を奪った。
コントロールとスローカーブが武器で、ローテーションの柱となる。
1993年、クローザーに転向。
1994年には、下柳剛、ボビー・シグペンと共に三本柱として、快進撃に貢献した。
1996年、先発投手に戻るも、登板機会が減少。中継ぎとしての登板が多くなっていた。
1998年、西武ライオンズに移籍。北九州市民球場の試合で勝利投手となる。
2000年、現役引退。
現在は福岡市中央区で飲食店を経営。
また、マスターズリーグ・福岡ドンタクズの選手としても活躍中。