平安時代中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。通称曾丹後、もしくはその略である曾丹。
生没年不詳。系譜も未詳。
通称は長く丹後掾であったためについたという。
和歌の新形式である百首歌を始め、さらに一年を三百六十首に歌いこめた『毎月集』も作った。当時の有力歌人であった大中臣能宣・源順・源重之らと交流を持ち、新鮮な作風をもたらした影響は大きい。その一方で、永観三(985)年に円融院の子の日の遊びに招待されていないのに出席して一座の人に追い出されるなど、奇矯な行動も多かったという。
長保五(1003)年の左大臣藤原道長歌合には七十余歳で参加しており、その頃までの生存は確認できる。
家集は『曾丹集』。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に約九十四首入集。
由良のとを渡る舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋の道かな
百人一首 46/新古今和歌集 巻十一 恋一 1071