大阪城公園のサクラも満開、今週末は大変な人出に成りそうですがそんな大阪城公園の南、中央大通りを挟んだ日生球場跡に工事中の森ノ宮キューズモールの真向い、通路から少し離れた木立の中にひっそりと佇む慰霊碑。 慶応4年(=明治元年、1868)1月、明治維新によって旧幕府が本拠としていた大坂城が新政府軍に引き渡されるに際し、これをいさぎよしとしない幕臣たちが、城内に火を放ち自害したという。新政府軍の主力だった薩摩・長州両藩の有志たちは、彼らの遺骨を埋葬し、武士の鑑とたたえて、同年7月にこの石碑を建立した。のちにこの碑は「残念塚」「残念さん」とよばれ、どんな願いもかなえてくれる神様として人々の信仰を集めた…