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新古典主義

(アート)
しんこてんしゅぎ

新古典主義とは一言でいうならば古典古代(ギリシア・ローマ)の美術を自分たちの美術の規範しにしようという運動であった。
そのきっかけとなったのは18世紀前半に行われた、火山の噴火で埋没したローマ時代の町、ヘルクラネウムとポンペイの遺跡の発見である。発掘された遺品を版画の挿絵で紹介した画集が相次いで出版され、人々は工芸品や絵の中にその形を真似た。
こうしたいわば皮相な古代愛好に論理的支柱を与えたのがドイツの思想家ヴィンケルマンの『ギリシア芸術模論』*1である。この書物は、芸術は自然の理想化であるべきこと、そして理想化をすでに実現しているギリシア芸術を模倣すべきであることを説いてヨーロッパ中に大きな反響を呼んだ。
このように本格化した古代志向の底にはロココ美術の放縦で享楽主義的な内容と感覚的な様式に対する批判と反省があった。人々は古代美術の形而上的な内容や簡素で壮大な形態感覚にひかれたのである。
この反ロココ精神は啓蒙主義の哲学者ディドロの支持を得た。反ロココ精神に基盤を持つ新古典主義は、旧体制を崩壊させ古代ローマの共和制に共感を抱くフランス革命の美術を様式として採用され、革命直前に新古典主義絵画の頂点と目される数点の絵を完成させていたダヴィッドは美術行政と実作の両面で革命に関わった。
新古典主義美術は第1帝政期に帝政様式への変貌を遂げる。この時期には建築や室内の古典古代風の端正な様式はかつての簡素さを失い、帝国の栄光を誇示する威圧的な雰囲気を漂わせるようになる。ナポレオンが古代ローマの皇帝に自ら擬していたため、ギリシアへの考古学的な関心が後退し、ローマ美術の形式性の模倣が各分野で試みられるようになる。

*1:1755年刊

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