1993年6月、武村正義を中心に自由民主党より分裂し結成された政党。自民党の若手議員によるユートピア政治研究会が母体となって派生したが、社会党から派生した民社党より政策的にはリベラルであった。
1993年8月、細川護煕を首班とする非自民7党による連立政権の与党とり、細川氏の日本新党と合併が予定されていたが、細川氏が武村氏から小沢一郎氏に近づくにつれ離反し、1994年に細川首相辞任後の羽田政権には社会党とともに参加せず下野。同年6月、羽田政権崩壊とともに自民党、社会党とともに村山富市を首班とする連立政権を結成した。
1996年9月の民主党結成時に大部分の党員が離党し、少数政党に。
2001年3月武村氏が民主党に入党し正式に消滅。
なお、2009年第45回衆議院議員総選挙で鳩山由紀夫が率いる民主党は「コンクリートから人へ」をマニフェストに政権交代を果たすことになる。