8 謙介京に上る 文久2年5月以降で、大野謙介の姿を確認できる史料は、管見にして「住谷日記」のみである。僅かな断片記事ではあるが、その記述を追ってみよう。まず、5月11日の条に「大謙下り願不済事、圭木も下リハ六ケ敷様子也」とある。謙介の水戸下向の願いが実現していないということか。「圭木」の誰かは不明である。それから4カ月近くを経った9月2日の条にも、「大謙ゟ之状届不申此後之便ヲ待候外ナシトゾ」と記されている。そして同月26日には「此夜池田(旅籠池田屋)へ飯村(俊蔵)、川又(才助)、大野等尋来候よし也」、とある。住谷は、9月20日水戸を出立し、当時は江戸に滞在中であった。 翌11月3日の条には、…