正中元年(1324年)〜延元3年/建武5年4月13日(1338年5月3日) 日本の皇族。後醍醐天皇の皇子。 後醍醐天皇と足利尊氏との内戦の中で、後醍醐天皇から皇位と三種の神器を譲られ一時的に天皇なった。しかし、後に京を脱出した後醍醐天皇が吉野で南朝を開いた事により、恒良親王の皇位は無意味となり、恒良親王は歴代天皇には数えられていない。
この地は、過去には南北朝時代や織田信長の朝倉討伐戦など、数々の歴史的な戦いが繰り広げられた場所であり、「日本の歴史的公園100選」にも選ばれていることで知られています。 春には約400本の美しい桜が花開き、その桜並木からは壮大な日本海の景色を楽しむことができる、人気のお花見スポットです。 また、神社では毎年「花換祭」という独特の行事が行われており、参拝者が桜の造花を新しいものに交換しながら幸福を祈願する風習があります。 この場所はかつて金ヶ崎城があった場所であり、現在は市民の憩いの公園として親しまれています。 金崎宮の桜2024開花状況や見ごろの時期いつ? 金崎宮周辺には約400本のソメイヨシ…
今回の「全国神社お参り旅」では、福井県敦賀市の金崎宮神社を参拝いたします。 北陸新幹線の福井県延伸によって、首都圏からのアクセスが便利になった敦賀市。パワースポットでもある神社では、気比神宮が有名ですが、若狭湾に面した金崎宮神社も縁結びの神様として人気スポットです。 神社のある金ケ崎は南北朝時代には新田義貞が足利尊氏と激突した地であり、新田軍の旗頭だった後醍醐天皇の皇子の悲劇も語り継がれています。金崎宮では、尊良親王と恒良親王を御祭神として祀っています。 境内には約400本のソメイヨシノが植えられ、春になると桜の名所としてにぎわいます。桜の小枝を男女が交換し、お互いの気持ちを伝えあう「花換え」…
黒丸町の集落の中に建つ城址碑 詳細は不明だが、斯波高経が建武4年(1337)頃に構築した城で、連携して防衛する足羽七城のひとつに数えられる。読み方には諸説あるようだが、城のある黒丸町の読みがクロマルであり、越前朝倉氏創業の黒丸城と区別する為に大小を付けたと思われることから、当時の一般的な読みを考え、コクロマルと呼ぶのが正しいのではないだろうか。 斯波氏は、家祖が足利家の庶長子であったことから、足利一門の中でも特に家格の高い家で、当初は宗家と同じく足利姓を名乗り、一説には、室町時代に入るまで一門ではなく別家扱いであったといもいわれる。 鎌倉時代末期の当主は、この城を築城した高経で、尊氏の挙兵に従…
金ヶ崎城跡周辺の案内図 敦賀湾に突き出た半島の小山に位置する、三方を海に囲まれた海城の山城。読みは、城跡を境内地とする金ヶ崎宮がカネガサキと呼ばれていることから、カネガサキが正しいのだろう。 築城時期は古く、源平合戦の頃に平通盛が木曽義仲に備えて築いた都留賀城が金ヶ崎城だといわれることから、これに従えば、養和元年(1181)から寿永2年(1183)にかけての築城だろうか。 その後は、気比神宮の大宮司気比氏の城となっていたようで、南北朝時代には、延元元年(1336)に尊氏が九州から東上して入京した際、新田義貞が後醍醐天皇の命を受けて尊良親王と恒良親王を奉じて北陸に下り、気比氏の当主氏治がこれを城…