桓武平氏高棟流。平家でも平清盛ら高望流とは別系統。権大納言。 同母姉時子は平清盛室。異母妹滋子(建春門院)は後白河天皇女御・高倉天皇生母。 姉妹の縁戚関係もあって累進を重ねた。 平家の都落ちに同道し、壇ノ浦の戦いで捕らえられ、能登へ流罪となり同地で没した。
彼が語ったという「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし*1」は、絶頂期にあった平家の驕り高ぶりを示すものとして有名である。
*1:平家にあらずんば人にあらず
僧兵の引揚げた後、取り残された神輿について、 俄かに、公卿会議が開かれた。 とにかく、いささか、不気味なお土産《みやげ》だけに、 いくたの論議が繰り返されたが、 結局、保延《ほうえん》四年神輿入洛《じゅらく》の前例にならって、 祇園の神社に奉置することに話が決まり、 夕刻を選んで、祇園別当、澄憲《ちょうけん》の手で、 祇園の社に入った。 神輿に突き刺った矢は神官が抜いた。 昔から、山門の僧兵を先頭に、 都に押しかけたことは、何度かあったが、 今度のように、神輿に矢が当ったのは始めてのことであった。 それだけに、一般の庶民はもちろん、 殿上人の中にも山王の祟りを恐れて、 戦々兢々《せんせんきょう…
【中古】 清盛 PHP文芸文庫/三田誠広【著】 【中古】afb価格: 200 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 1118年に生まれた平清盛。母は白河法皇に仕えていた女人だが、法皇から伊勢平氏の棟梁である忠盛に妻として下された女性。生まれるとすぐ亡くなり、白河法皇の元で権勢を握っていた姉の砥園女御に育てられた。そのため長男でありながら平家の血筋を引いていないと周囲から見られて、嫡男として扱うには叔父の忠正を始め、抵抗する者もいた。ところが正妻の池禅尼の子供である家盛が急逝し、また識見も次第に父忠盛に認められて、棟梁の座を継ぐことになる。 清盛は若くして武士とは思えない高い官位を受けたため、周囲は…
保元・平治の戦いに相次いで勝利をおさめた平清盛は、武士として栄華の絶頂を極めていきます。乱の直後には正三位の参議に、数年後には従一位・太政大臣に叙せられるのです。その一方で、妻・時子の妹で後白川上皇の女御となっていた建春門院・滋子が男児を出産。後の高倉天皇です。重盛、宗盛らの息子たちをはじめとする平氏一門も重用され、滋子の兄でお調子者の平時忠が「平家にあらずんば人にあらず」と言ったというのがこの頃のこと。 この後も幼い高倉天皇の中宮に娘・徳子を据えるなど、清盛の権勢はとどまるところを知らないようですが、著者は「清盛生涯での心身の最盛期」は、一門総出で厳島神社にて結縁供養を営んだ「平家納経」の頃…
朝からミゾレが降っています。 今週は寒い日が続いています。梅も開花も一休みでしょうか。天気予報によっては「菜種梅雨」と呼ばれますが、今年はやはり暖冬なのですね。 なたね‐づゆ【菜種梅‐雨】菜の花の咲く3月下旬から4月にかけて、連日降りつづく寒々とした小雨。『デジタル大辞泉』より さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」も弘法大師空海をめぐるお話です。あらゆる不安をお静めになった「蝉折の笛」の音が、能登の被災地に響き渡ってほしいとの願いを込めて書きました。お読みいただけましたら幸いです。 ※ ※ 「法の水茎」140(2024年2月号) 令和6年元旦に発生した石川県能登地方を震源とする能登半島地震によ…
🎉森田剛45才おめでとう🎉どんな森田さんも好き同率1位✨平時忠(平清盛)✨和田信賢(アナ戦)✨ファンミ和服姿(髪←TAKAI氏天才)舞台は金閣寺がだんとつ好き宮本亜門さんに相談もせず坊主にしてしまったエピもたまりません次の舞台みなさんに逢えますように❤️ 2005年 荒神 5回2008年 號 iZO 7回2010年 血立眠 11回2011年 金閣寺 9回✨2011年 NY 金閣寺 4回✨2012年 金閣寺 5回✨2013年 祈りと怪物 5回2013年 鉈切り丸 12回2014年 犬事件 4回2014年 ブエノスアイレス 7回2016年 ビニールの 4回2017年 全ての4月 3回2019年 …
皆様お久しぶりです。 今日のテーマは「平家にあらずんば人にあらず」です。 源平合戦で勝利した平家に最早敵なしとなった時代の言葉です。 しかし栄華を極めた平家でさえ、ついには源頼朝に敗れ滅亡ああ諸行無常と思われる方もいらっしゃるでしょう。 このままではあまり面白くないので、少しだけ蘊蓄を垂らさせてもらいます。 テーマの言葉の意味は見ての通り平家でないものは人ではないです。 まさにおごった平家から出た言葉に思えます。しかし本当の意味としては人ではない=政治参加できないもしくは出世できないくらいの意味だったという事が、最近の説です。 それでも十分とは思いますが文字よりはマイルドだと思います。 最後に…
本作は、「著 ケン・セントアンドレ 翻訳:安田均/グループSNE」が権利を有する『トンネルズ&トロールズ完全版』の二次創作作品です。 (C)Group SNE 「トンネルズ&トロールズ完全版」 おごれる核通久しからず。T&Tも諸行無常。 1人用。善の種族のみ(人間推奨だが、人にあらずとも可)。1レベル限定。性別・タイプ不問。PCは源氏方か平家方として合戦に加わる。 地形は、(西 平家側)壇浦―八島―一谷―宇治川―富士川―石橋山―鎌倉(東 源氏側)。 戦はまず中央の宇治川から始まり、PCが勝てば一つ奥の戦場に進める。 逆にPCが逃亡した場合は、一つ手前の戦場に後退する。自軍側の最後の拠点(鎌倉/…
承前*1「平家末裔の「上時国家」倒壊 輪島」https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1284921 曰く、 能登半島地震で、平家*2の末裔が築いた輪島市町野町南時国の国重要文化財「上時国家(かみときくにけ)住宅」*3が倒壊していたことが分かった。 1階部分がつぶれ、主屋の厚さ約1㍍に及ぶ豪壮な茅葺(かやぶき)屋根が地面に付いた状態となっている。主屋は約200年前に造られたとされ、間口29㍍、高さ18㍍に達する。金を施した「縁金折上格(ふちきんおりあげごう)天井」など手の込んだ内装や巨大な梁はりが特徴で、2003年の重文指定の際には「江戸末期の民家の一つの到達点…
能登へは、かつて2度ほど旅しました。能登半島を2日がかりで1周する観光バスがあって、途中の1泊はどこでも自由、翌朝決められた場所に定時に行けば乗り継げる、というコースです。 1度目はほぼ半世紀前。平家物語で以仁王を逃がすために孤軍奮闘した長谷部信連は、伯耆国へ流された後、頼朝から輪島の地を安堵され、そこで亡くなったと伝わっているので、輪島塗会館で下ろされた自由時間にタクシーに乗り、JTBのガイドブックを示してこの墓へ行きたい、と言ったのですが誰も知りません。運転手たちが、うちの墓へ連れて行ったんじゃ駄目か、と言っているのも聞こえましたが、ともかく田圃の中に立つ五輪塔を見ることができました。当時…
昨日は今年初めての施設俳句サークルの句会で、普段に無いお茶(ペットボトル)やお菓子まで出してもらった。 私は出来るだけ毎日の句作を心がけているなかから以下の五句を出した。 ①木洩れ日へ悴(かじか)む手指差しかざす ②手袋を忘れて拳握り締め ③渡すより大き手受けしお年玉 ④足長の影が寄り添ふ冬至の日 ⑤小走りのお百度急かす初詣 結果は②と④が一つづつの選をもらっただけで残念な結果に終わってしまった。 館内掲示の句は⑤、④、②の句にしてもらった。 ⑤は初詣で行った神社の参道の一部がお百度参りの周回コースに重なっている様子を詠んだ。 ④は家内から孫へお年玉を渡すのを見て詠んだ。 ②は冬至の日、晴れた…
私にとって能登は思い入れのある場所です。思い入れ…というのはちょっと違うかな?日本地図上で見ると、東京からはそんなに距離を感じない、京都の方が距離的に遠くに思えますが...でも能登は秘境というか裏日本という取り残された土地、のイメージなんです。NHKの新日本紀行でみた冬の厳しさ、暗さ、50年位前の事とはいえ、東京の暮らしとの余りの違いがずーっと私の頭の片隅に残っていて・・・ 30年近くも前になりますが、2度能登を訪れることができました。 一度目は、富山駅からレンタカーで雨晴らし海岸(ここがどうしても見たかった!)経由で能登金剛、ヤセの断崖、そして輪島、キリコ会館、そして金沢へ。当時はネットどこ…
平安時代叢書がそれまでの藤原摂関家の描写から院政期の描写に移る、「平安時代叢書 第十五集 鳥羽院の時代」と「平安時代叢書 第十六集 平家起つ ~平家ニ非ズンバ人ニ非ズ~」を執筆中に大いに参照した論文集である。 以下に本書に取り上げられた論文を記す。 鳥羽院政と保元の乱 鳥羽院・崇徳院~崇徳院政の夢~…佐藤健治 藤原忠実~辛酸を嘗めて中世を切り開いた摂関家家長~…佐古愛己 藤原頼長~苦闘する大学者~…横内裕人 平忠盛~都鄙で広がる京武者の舞台~…守田逸人 源為義~保元の乱における実像~…須藤聡 覚仁と信実~悪僧論~…久野修義 阿多忠景と源為朝~その伝説と実像~…栗林文夫 [コラム]王家の乳母…野…
翌土曜は輪島・珠州へ弾丸ツアー。輪島へ行ってみたい、という希望だったので。実は能登半島の大きさをご存知ないが故のご希望であるが、能登半島の大きさを知らしめる輪島・珠州へ弾丸ツアーへ出発。日帰りで300km超え、もちろん観光あり、である。 朝7時前に出発し、輪島の朝市へ(写真なし)。 9時前には輪島着。ボク自身も鰯のイシルが欲しかったので、丁度良かった。お客様は「アゴの出汁」をみつけ大喜び。 次は千枚田へ。 さらに上時国家へ。1030会場で暫く待つ。平時忠末裔の伝承はともかく、交易中継地能登の豊かさを知る、場所である。 中納言の間。 道の駅の塩田から海岸へ。美しい。 能登の最果て狼煙・禄剛崎へ。…
輪島からはまずは白米千枚田、続いてコトリが絶対外せない上時国家。ここは壇ノ浦で敗れ能登に配流された平時忠の子孫の家。ちなみに時忠は、『平家にあらずんば人にあらず』 この言葉を残したことで歴史に名を残した人だ。「あれもそれまでは藤原氏、それも北家やなかったら出世でけへんかったのが、平家が取って代わったぐらいの意味やともされとるがな」 時忠は平家全盛の頃に権力者であったのは間違いないはずだけど、壇ノ浦後も重要視された人物なのはちょっと驚いた。「源氏の台頭に反感持つのも多かったんやろ」 平家の滅亡は源氏の世になるしかないと思うのは後世の人間で、平家が滅亡したら貴族政治が復活すると期待していた勢力が京…
Book Review 15-4 時代小説 # 平家物語 『#茜唄(上)(下)』(今村翔吾著)、『#猛き朝日』(天野純希著)を読んでみた。前者は2022年『塞王の楯』で直木賞受賞。後者は2013年、『破天の剣』で中山義秀文学賞を、2019年、『雑賀のいくさ姫』で日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞。 両書とも平家没落を描いている。有名なのは『平家物語』である。(「平治物語」「保元物語」と呼ばれることも多いそうだ)。鎌倉時代に成立したとされる軍記ものである。「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しでも広く知られている。 「祇園精舎の鐘の声、所行無常の響きあり。沙羅双樹の華の色、盛者必衰のことわりを…