『日本書紀』崇峻天皇紀にある蘇我氏(蘇我馬子)と物部氏(物部守屋)の抗争をこう呼ぶことがある。排仏戦争、崇仏排仏戦争とも。 仏教を取り入れた蘇我氏と、「国の神を放って異国の神を崇めるなどとんでもない」という物部氏が衝突。蘇我氏の勝利に終わり、物部守屋は殺害され物部氏は没落してしまう*1。 この際、聖徳太子は蘇我氏側に付き物部氏調伏の儀を行った。
*1:しかし物部氏一族の名前はその後の孝徳天皇紀にも表れる。