元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。 1969年9月6日生まれ。島根県出身。身長180cm、体重72kg。 1996年には、Jリーグ初のディフェンダーによるハットトリックを決めた*1。 サッカー日本代表として国際Aマッチ30試合出場、4得点を記録。1998年FIFAワールドカップの代表メンバー。 2008年限りで現役を引退した。 2010年、JFA公認S級コーチライセンス取得。
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*1:オウンゴールも入れた
「中日新聞」HPより www.chunichi.co.jp 日本代表として活躍したトップアスリートが幼稚園児とボール遊びをする教室が2日、輪島市河井町の海の星幼稚園であった。 能登半島地震の影響を受けている子どもたちを元気づけようと、日本サッカー協会と日本トップリーグ連携機構が2月上旬から、被災市町で実施している。未就学児を対象とした教室は同市では初めて。 この日は金沢市出身・在住の北京五輪ソフトボール女子金メダリスト坂井寛子さん(45)とサッカー元日本代表小村徳男さん(54)が講師を務めた。 教室の冒頭、ポケモンが描かれたリュックサックとボールが園児らに贈られた。参加した2~5歳の19人はピ…
はい、今回も前回に引き続きまして「監督途中交代率ランキング2024」です。 企画概要とイントロダクションは第1回をご覧くださいませ。 今回の連載では途中解任率は「通算のシーズン途中の監督交代回数÷当該クラブのJリーグ在籍シーズン数」で%出していきます(数字が並んだ場合以外は小数第一位まで記載し、以下は四捨五入)。ぶっちゃけ、これで測るのが正しいのかどうかは今ひとつ自分もわかってないので、他に良い数式を思いつく方は訂正版ブログとか書いて読ませてください。 また、全チームを対象にすると…サンプルが少なすぎてランキングクラッシャーみたいな数字を出してくるところが出てくる可能性があるので、今回は一定の…
この大会、ほぼ振り返られない件 どーもこんばんは さてさて、アジアカップ2023が始まります! 通算5度目となる優勝を目指す日本代表ですが、いわば日本代表とアジアカップの歩みはその成長の軌跡を映すようなものでもありました。 という訳でこのアジアカップを機に、日本代表が過去に戦ってきたアジアカップを振り返っていきたいと思います。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 今回は1996年UAE大会です。 1992年大会の優勝、Jリーグ開幕、そしてドーハの悲劇を経た日本代表にとっての最大の目標はもちろん1998年フランスW杯への出場権獲得…
サ 「冬の時代」を迎えた日本サッカー界 1968年のメキシコ・オリンピックで、みごと銅メダルを獲得した日本代表。続く目標となったのは、2年後に同じメキシコで開催されるワールドカップだった。当時まだ一般的な日本人にWカップの認知度は低かったが、サッカー関係者なら重要な大会であることは当然認識していた。 特にWカップ出場に意欲を燃やしていたのが、メキシコ五輪の活躍で世界から注目され始めていた釜本邦茂選手であった。釜本は日本代表選手としてWカップ出場を果たし、活躍を見せてヨーロッパでプロ選手となる夢を抱いていた。 しかし彼の夢が叶うことはなかった。69年W杯予選を前に釜本選手はウイルス性肝炎にかかっ…
OB監督……それは実に甘美な響きである。 ファン・サポーターのみならず、それはクラブにとって一種の夢物語である。しかし、ある人が選手と監督の両面でレジェンドとなり、クラブに関わる人々にとってこれ以上ない瞬間をもたらす事もあれば、一方では監督として、選手時代に築いた実績にさえ泥を塗る者も存在する。まるで付き合ってみたら違った、結婚してみたら違った…とでも言うかのように。 ……前置きが長くなった(かつイキった)形になりましたが、今回のブログはJリーグのOB監督についてです。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); Jリーグは開幕から30…
ワイ、当時1歳。 どーもこんばんは さてさて、6月10日、この日何の日。 1998 FIFAワールドカップフランス大会の開幕から25年です。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 言うまでもなく、1998年フランスW杯といえば日本代表が初めて出場したW杯でした。 今では出場が当然、むしろ本戦でどこまで行けるかが問われ、なんなら決勝トーナメントも全体にベスト8に行けるかどうかが目標になっています。それは25年前と比較すると隔世の感みたいなもので、当時はその舞台に辿り着いたこと自体が快挙であり偉業。もちろんW杯への道を切り拓いたジョホ…