大久保長安 長安の父・大蔵信安は祖父の代より継承された猿楽師(狂言師)であり、その次男として天文十四年、甲斐国で生まれた。信安は猿楽師として武田信玄のお抱えであり、息子の長安は信玄の家臣となり武田領の黒川金山などの鉱山開発に従事していた。 その後、信長・家康連合軍の侵攻(甲州征伐)により武田家が滅亡すると、長安は鉱脈発掘に長けた山師の才能を認められ家康の家臣として仕えるようになった。更に長安は大久保忠世の長男・大久保忠隣の 与力に任じられ、姓を大久保に改めた。そして、甲斐の内政再建を任された長安は釜無川や笛吹川の堤防復旧や新田開発、金山採掘に尽力し、わずか数年で甲斐の内政を再建した。この実績を…