天文9年(1540年)〜天正15年4月25日(1587年6月1日)。姉小路良頼の長男。妻は斎藤道三の娘。斎藤利治・斎藤利堯とは親族に当たる。日本の戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将。大名。飛騨姉小路氏当主。
家督を継承後、上杉謙信から織田信長と同盟を結ぶ。本城を夏は飛騨松倉城、冬は桜洞城と二拠点とした。
飛騨国内の反対勢力を攻め滅ぼし飛騨国をまとめた。月岡野の戦いにおいては、斎藤利治の軍を飛騨国を案内して越中へ通し、援軍を送る。甲州征伐も協力した。その後も、佐々成政の越中侵攻に協力した。
本能寺の変後、江馬輝盛が攻めてきたが、八日町の戦い(飛騨の関ヶ原の戦いと言われる)で勝利し、謀略と計略を用いて飛騨国を統一した。