鎌倉後期の皇統分裂後、亀山天皇の血を引く天皇の朝廷。 その名は亀山天皇が退位後大覚寺を御所に定めたことによる。
南北朝分裂後は平安京に対し南にある吉野に朝廷を置いたことから南朝と呼ばれる。 吉野に逃げ延びるときに平安京に残してきた三種の神器を偽器と主張し、正平一統でそれすらも持っていってしまった。
近代までは血統的に今上天皇に連なる北朝が正統とする説が有力であった。 しかし明治天皇が南朝を正統としたことにより、今は南北朝時代は南朝の天皇が歴代天皇に並べられている。
ランキング参加中歴史 導入 結局、両統迭立ってなんやねん 両統迭立は何回あったのか 両統迭立は実際何回あったのか(検証) 仁徳天皇の子孫 継体天皇の子孫 欽明天皇の子孫 敏達天皇の子孫 舒明天皇の子孫 桓武天皇の子孫 仁明天皇の子孫 村上天皇の子孫 鳥羽天皇の子孫 後白河天皇の子孫 後鳥羽天皇の子孫 後嵯峨天皇の子孫 光厳天皇の子孫 後水尾天皇の子孫 東山天皇の子孫 光格天皇の子孫 終わりに 参考文献 書籍 webページ等 導入 タイトルの「両統迭立」がまず読めるかって話ですよね そしてその意味はなんやねんって話ですよね 以下、広辞苑第6版より引用 両統迭立(りょうとうてつりつ) 鎌倉後期、大…
後醍醐天皇 室町人物伝 コミック版 日本の歴史32監修 加来耕三ポプラ社、2012年9月 第1刷 『私本太平記』を読んでいる最中だけれど、ここは基本にもどって、後醍醐天皇を中心に見直してみようと思って、コミック版 日本の歴史シリーズを図書館で借りてみた。そもそも、南北朝時代とか、室町幕府の始まりに興味をもてたのも、このコミック版の『足利尊氏』をよんでからだったし。 漫画なので当然、あっという間に読める。当然、これまで、私本太平記の中で出てきた人物がでてきて、その関係性の復習になった。 私本太平記の中でもでてきたけれど、なんとなく読み飛ばしていた人物についても、あぁ、そういう関係だったのか、と理…
花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見」の途中で「後二条天皇北白河陵」。 吉田神社北参道から今出川通に出た処に「後二条天皇北白河陵」、境内の砂利を均してる人が居たのでお話をお聞きすると宮内庁職員だそうです。 後二条天皇と云うと後醍醐天皇の異母兄、大覚寺統と持明院統 両統迭立天皇の原則が崩壊寸前、南北朝の騒乱が始まる直前の大覚寺統最後の天皇とも云える天皇で、大覚寺統はその後異母弟の後醍醐天皇によって南朝として継続、日本は南北両朝並立の分裂王朝時代を迎えます。 ランキング参加中京都 ランキング参加中神社仏閣・古墳・歴史的建造物めぐ…
「酒呑童子絵巻」 根津美術館所蔵 というわけで後半です。前編を読んでくださった方、ありがとうございます。 前編ではもともと武士とは「破邪/辟邪の力」を朝廷から期待されており、その力でもって災厄やケガレが朝廷に降りかかるのを防ぐ役割を担っていた。酒呑童子伝説で有名な源頼光とその子孫が代々任じられていた「大内守護」という役割においても現代的な警備員や近衛兵とは違い呪術的な力も求められており、それこそ本来の意味での「武力」であった...しかしそれも鵺退治でおなじみの源頼政が打倒平家に挙兵して敗死したのを機に「武力」といえば「破邪/辟邪」ではなく現在の我々が思い浮かべる暴力的な力が主流になっていく..…
南北朝時代の出来事を年表にまとめた。 南北朝時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 鎌倉時代 後は 室町時代 広義の室町時代に含まれる。 南北朝時代の概要 南北朝時代の文化 南北朝の段階区分 南北朝時代の出来事 前史 1318年 (文保2年) 96代 後醍醐天皇 即位 1331年 (元弘 元年) 元弘の乱 1331年 (元弘 元年) 北朝 初代 光厳天皇 即位 1333年 (元弘3年) 後醍醐天皇 重祚 1333年 (元弘3年) 建武の新政 1334年 (建武元年) 二条河原落書 1335年(建武2年)中先代の乱 1336年(建武2年) 建武の乱 1336年 (建武3年) 建武式目…
鎌倉時代の出来事を年表にまとめた。 鎌倉時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 平安時代 後は 室町時代 関連記事 鎌倉時代の概要 鎌倉時代の政治 鎌倉時代の文化 随筆 軍記物語 歌集 彫刻 鎌倉時代の出来事 1160年 (平治元年) 源頼朝 伊豆国に 配流 1180年 (治承4年) 源頼朝 挙兵 1180年 (治承4年) 源頼朝 鶴岡八幡宮 を遷す 1183年 (寿永2年) 後鳥羽天皇 即位 1183年(寿永2年) 寿永二年十月宣旨 1184年 (元暦元年) 源頼朝 勝長寿院 建立 1185年(文治元年) 文治の勅許 1189年(文治5年) 奥州合戦 1189年 (文治5年) 北…
百七十六枚。赤坂城の緒戦を書き終える。あと八枚で二回目の戦いと赤坂城の陥落、この間に京でおこなわれた大覚寺統の公家、武家の処分などを書き、そのあと十七枚で後醍醐天皇の隠岐配流を書く。前作の推敲を始める。欲しかった資料がタイミングよく手に入って書きやすくなる。 酒盛正の電子書籍 ↓ ↓ ↓ ↓ (表紙画像をクリック) books.rakuten.co.jp 曹洞宗の禅林で破門同然となった良寛は、越後へ帰郷して世俗の中で禅の修行を全うしようとするが、そうして真摯に生きようとすればするほどこの世に生きる場を失う。良寛は身を屈め、大きな体を小さくして人の世を生き凌ぐ。ーーかくばかりうき世と知らばおく山…
鎌倉幕府の滅亡から室町時代についてまとめてみました。 いよいよ鎌倉幕府が滅亡します。 鎌倉幕府滅亡の原因は、記述問題の定番中の定番です。しっかりとマスターしておきたいですね。 1.板書 2.元寇 日本が元寇を退けられた理由 文永の役 弘安の役 元寇の影響 得宗とは 3.後醍醐天皇による倒幕 4.室町幕府 5.足利義満 (1)日明貿易 (2)北山文化 (4)南北朝合一 1.板書 板書 鎌倉~室町時代 今回の板書はこのくらいにまとめてみました。 2.元寇 bunka.nii.ac.jp 元寇といえばおなじみの史料「蒙古襲来絵詞」は宮内庁の所蔵です。文化庁の「文化遺産オンラインサイト」をご覧ください…
本書の角書きである「大人の学参」。これは虚構ではない。実際に大学受験で出題された問題を解説する形式で日本国の歴史を解説しているのが本書である。 たとえばこのような問題である。 次の(1)~(3)の文章を読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。 (1)1235年、隠岐に流されていた後鳥羽上皇の帰京を望む声が朝廷で高まったことをうけ、当時の朝廷を指導していた九条道家は鎌倉幕府に後鳥羽上皇の帰京を提案したが、幕府を拒否した。 (2)後嵯峨上皇は、後深草上皇と亀山天皇のどちらが次に院政を行うか決めなかった。そのため、後嵯峨上皇の没後、天皇家は持明院統と大覚寺統に分かれた。 (3)持明院統と大覚寺統からは…
古事記の原本はみつかっていない。一方、現存する最古の写本は愛知県の大須観音にあるものとされる。なぜ原本がないのだろうか。次の流れで紹介していく。 ・古事記の原本・最古の写本は古事記の成立から約660年・南北朝時代・南北朝時代の1371 年~1372 年という時代・神皇正統記(じんのうしょうとうき)・まとめ ■古事記の原本古事記の原本はみつかっていない。現在あるのは写本である。 最古の写本は1371 年~1372 年のもの。 愛知県の大須観音、正式名称は北野山真福寺寶生院に伝わる真福寺本「古事記」が最古とされている。 大須観音はもともとは岐阜県羽島市大須にあった。 1324年に後醍醐天皇が長岡庄…
百二十枚。南北朝の合戦の幕開けは比叡山の東西の登り口で起こる。これからは合戦に次ぐ合戦で、その合間に持明院統の公家と大覚寺統の公家たちが袖を翻して走り回る。敗戦の武士は腹を切り、捕らわれた公家は配流か斬首、皇族は配流されたうえでときに弑される。この作品の題を創作ノート段階で「溟暗」としていたが、二章を書いている途中で変えた。その題もまた変えるかも知れない。題は変えられるが、題をつけずに書くことはできない。 酒盛正の電子書籍 ↓ ↓ ↓ ↓ (表紙画像をクリック) books.rakuten.co.jp 曹洞宗の禅林で破門同然となった良寛は、越後へ帰郷して世俗の中で禅の修行を全うしようとするが、…
北嵯峨四景。 「嵯峨は王朝貴族遊覧の地である。鎌倉中期、後嵯峨上皇が小倉山の東南、南に大堰川(下流が桂川)や嵐山を望む地に、亀山殿を造営した。上皇は出家後大覚寺に入り、ついでその子の亀山法皇もここに住いする。一四世紀はじめには、亀山の子後宇多上皇が大覚寺に入って院政をおこなったので嵯峨御所と呼ばれ、伽藍や僧房も新営された。以後も、亀山・後宇多両天皇の皇統に属する上皇や皇子が住む。それでこの皇統を大覚寺統(のちの南朝)と称する。明徳三年(1392)、南北朝内乱を終わらせた両朝合体のとき、南朝の後亀山天皇は、同寺で北朝(持明院統)の後小松天皇に、皇位のしるしである三種の神器を引き渡した。暦応(りゃ…
[0801]2019年3月、JR嵯峨野線の【 駅】が開業した。(2019)[0802]丹波国の一の宮【 】は、延喜式の神名帳に記載される古社である。(2009)/亀岡市にある千歳車塚古墳は、6世紀前半の築造と推定される口丹波地方で最大の前方後円墳で、その近くには丹波国の一の宮である【 】がある。(2020)[0803]江戸時代の歌人で、「平安和歌四天王」の一人に数えられ、平易率直な「ただこと歌」を主張し、歌集『六帖詠草』や歌論書『布留の中道』などを書いたのは【 】である。(2009)[0804]「市屋道場」とか「一夜道場」と呼ばれる寺院で、重要文化財の「遊行上人絵巻」を所蔵するのは【 】である…
生誕150年/没後80年 千種掃雲 ■2023年12月21日~2024年3月10日■京都国立近代美術館 京近美4階のコレクション展示コーナーで、明治から昭和前期にかけて活躍した日本画家、千種掃雲(ちぐさ そううん 1873-1944)の特集が組まれています。 昨年が彼の生誕150年、今年が没後80年のアニバーサリー・イヤーにあたっていることからの企画です。 常設展の一種ですが、前期(2023年12月21日~2024年2月4日)と後期(2月6日~3月10日)に分けて70点近い作品を展示するという、このあまりメジャーとはいえない画家にしては非常に力の入ったレトロスペクティブ。 内容からみてこれは立…
第2段をアップするのを漏らしておりました。 1)第2段 要旨 いにしへの聖の政治と現世の政治を対比し、臣民を蔑ろに贅をつくし、尊大な政治を行う輩に深い思慮はないと非難。 藤原師輔(九条殿)や順徳帝の『禁秘抄』などに見られる質素倹約思想を称揚します。 でも、本段に登場した面々をネットの記事などで追っかけてみると、額面通りでないものがあれこれ見えてきます。 0)前置き 以下の4点を参照しつつ『徒然草』を読んでおります。①旺文社文庫『現代語訳対照 徒然草』(安良岡康作訳注/1971初版の1980重版版) ②ネット検索 ③『角川古語辞典』(昭和46年改定153版)④中公新書『兼好法師』(小川剛生著・2…