文政7年5月3日出生。兵学者。司馬遼太郎『花神』主人公のモデル。 旧名村田蔵六。現在の山口県防府市出身。 緒方洪庵の元で蘭学を学ぶが後に親の命により故郷に帰投、田舎医者の位に納まっているが、後に見出され長州藩軍監に。幕長戦争時は総指揮官となり幕府軍を撃退。 維新後は軍隊の原型を作り「軍神」とされるが(靖国神社に銅像があるのはそのため)、薩摩藩士との不仲が原因で襲撃を受け、後日、その傷が原因で死亡。
【中古】天下を計る価格: 2136 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 数字に強い「算用者」として丹羽長秀に仕えた長束正家は、融通の効かない「竪物」と見られていた。例え武勇で名高い武士にも算術の誤りには容赦をせず、帳面から丹羽家の実態を把握することで、主君丹羽長秀から信頼を受けていた。長秀は死の間際、天下人の秀吉は欲望が果てしなく信用できないと述べ、正家に長秀死後の丹羽家を託す。果たして秀吉は丹羽家に120万石から15万石に大減封を命じる。 減封の過程で借金踏み倒しの嫌疑をかけられ、豊臣家から調査が入るが、正家は独自に工夫した帳簿で、指摘された問題点を淀みなく説明して疑問を晴らす。仕事への取組み…
何時も前を通りますが、目的地への途中の事で通り過ぎてしまう「大村益次郎卿殉難報国之碑」。 高さ約12mも有る大きな石碑は、紀元2600年の節目にあたる昭和15年11月に政財界や陸海軍の要人、大阪や関西を中心に88名の発起人並に発起人黨賛助者によって亡くなった旧大阪仮病院隣接地に建立されています。 日本近代軍政の創始者・大村益次郎、若き日の村田蔵六の物語は、1969年から1971年 朝日新聞に連載された司馬遼太郎の「花神」、1977年のNHK大河ドラマ「花神」で良く知られ、私は朝日新聞連載で読んでいて家の購読新聞が度々変わったりして良く解りませんでしたが、大河ドラマの「花神」の視聴は毎回欠かさず…
東京九段にある靖国神社。その境内に大村益次郎の像があります。 (天才軍略家・大村益次郎) 大村益次郎は、幕末から維新にかけて活躍した長州藩の天才的軍略家であり医師で、江戸幕府倒幕の中心的人物の1人です。 緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、成績優秀で塾頭になります。豆腐を肴にお銚子2本の酒を飲むくらいで、どんちゃん騒ぎの宴会は嫌いというまじめで静かな人物だったようです。 【適塾についてはここをクリックして御覧下さい】 大村益次郎は1853年に宇和島藩に出仕し、蘭学の教授を行い、同時に軍政改革に参画します。 その後1860年に萩藩雇士となります。大村益次郎は、江戸時代末期に起きた長州征討と戊辰戦争で長州…
戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。 「戦国ヒストリー」は、丁寧に歴史を追求した本格派の戦国WEBマガジンといううたい文句で、戦国時代を中心に源平時代から近現代史まで、時代もジャンルもバラエティに富んだサイトです。 sengoku-his.com 今回の掲載コラムご紹介は「戦の天才「大村益次郎」の名を世に知らしめた二つの戦いとは」です。 大村益次郎は、幕末の長州藩で軍事指導者として倒幕に大きく貢献した人物として知られ、新政府にも出仕し「日本陸軍創設の…
2023年5月21日激動の幕末にドラマの舞台となったのが、長州藩邸や土佐藩邸が建ち並んでいた高瀬川界隈でした。明治という日本の夜明けを待たずして、テロや戦さで命を散らした幕末の志士たち。 今回は、四条小橋から高瀬川沿いを北上して、彼らの足跡をたどりました。 高瀬川河原町の喧騒を忘れさせるほど静かに流れる高瀬川。川底の石がよく見える、透き通った清らかな水が淀みなく流れています。 アオサギアオサギや鴨が生息する高瀬川。時にはオオサンショウウオも泳いでいるそうです。 古高俊太郎邸跡飲食店がひしめく路地裏で見つけたのが「古高俊太郎邸跡」の碑。 京都で薪炭商を営みながら長州藩のスパイとして活動していた古…
子供のころ、長野市に住んでいた。 当時、「信濃の国」という県歌を覚えた。長野県で育った人なら大抵歌えるらしい。 歌詞はとってもむずかしくて長い。 長野県歌【信濃の国】歌詞の内容・歌の歴史ちのステーションホテル補足ページ…信濃の国,県歌,自然保護,市民憲章,長野県,茅野市www.cs-h.co.jp 5番の歌詞で、県出身の偉人を褒め称えている。が「象山 佐久間先生も~」と、ガイジンのように姓と名をひっくり返して歌われているのは何故なんだろうな~と思っていた。 長野県人はこの名を100%「ぞうざん」と読むが、それ以外の人らは「しょうざん」と読む。とにかく、佐久間象山という、松代出身の偉人が江戸時代…
1977年大河ドラマ『花神』をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。 「花神」とは中国の古語で「花さか爺さん」の意味です。 大河ドラマ『花神』は大村益次郎が主人公ですが、吉田松陰や高杉晋作など、時代を疾走した青年が咲かせ、散らした花吹雪の中で、彼らと彼らを支えた人たちの軌跡の物語です。 目次 大河ドラマ『花神』オープニング 大村益次郎とは 出生 天才大村益次郎 医師から軍人、政治家へ ちょっと変わり者? 暗殺 大河ドラマ『花神』オープニング 昨年アンコール放送された『黄金の日日』でもありましたが、オープニングでの口上(司馬遼太郎氏の原作の文章を脚色)がいいのです。 10代の私の心に響きました。 …
秘秘術で偉人をリサーチ Research the great with numerology 大村 益次郎(おおむらますじろう)【誕生数⑤ 日本】 編集 編集 編集 数秘術で偉人を分析シリーズ、五人目は大村益次郎。 維新10傑の一人であり、大久保公と同じく40代半ばでこの世を去ってしまった維新の巨星。 長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となりました。 戊辰戦争後、凶刃に襲われるまでの約3ヶ月の間に、その後の日本陸軍の創設に重要な影響を与える決断を矢継ぎ早に下し、 事実上の日本陸軍の創始者と見なされています。 そういう理由で靖国神社の参道中央にいつも立っていらっしゃいます。 もし…
2015年4月25日 ランキング参加中旅行 楠正成 二重橋 乾門 靖国神社 今日の目的地は、東京都千代田区です。天気も良かったので皇居周辺を歩いてきました。まずは皇居前広場を目指します!東京駅丸の内口南口の改札をでて東京駅正面の道をまっすぐ、10分かからずに行けます!天気も良いためるんるん気分です。 東京三大銅像のうちの2つもみてきました!皇居前広場・楠正成//靖国神社・大村益次郎//上野公園・西郷隆盛を、総称して東京三大銅像と呼びます(`・ω・´)さて皇居前広場の大型バス駐車場近く、木立の中の広場に到着です。 楠正成 こちらが楠木正成の銅像です! 鎌倉時代末期~南北朝時代初期に活躍し、後醍醐…
「歴史あふれる北船場を訪ね歩くまちあるき」、国の重要文化財、緒方洪庵の「適塾」に向かいます。 正式には「適々斎塾」、または「適々塾」とも称され、緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来だそうです。 緒方洪庵の私塾「適塾」は、幕末の25年間開塾された間ここで学んだ塾生は佐幕派討幕派を問わず全国から凡そ3000人を数え、塾頭を務めた福沢諭吉や大村益次郎を始め綺羅星のごとく幕末の偉人たちが並び、その教育方針は教師と生徒の区別は無くお互いが教え学び合うと云うもので、医学塾で在りながら輩出した人材は明治初期日本の各分野に及び近代日本の礎とも言える私塾です。 適塾は1886年頃まで塾生たちにより運営されその…
幕末に 推しの偉人はおられますでしょうか? 坂本龍馬・西郷隆盛・土方歳三… あたりがランキングトップの常連になるかと思います 「竜馬がゆく」・「翔ぶが如く」・「燃えよ剣」…かれらの業績やひととなりを 司馬遼太郎の小説で知られるかたは きっと多いでしょう そんな司馬文学の中で さほど目立たない存在ながら すまりんが最高傑作のひとつ✨と思っているのが「花神」です 主人公の大村益次郎というひとの名は 耳にされたことはあっても 何をした人かよく知らない というかたが多いかもしれません 教科書に載るような とびぬけた偉業があるわけでもなく弁舌巧みに人を惹きつける魅力があふれているわけでもなく彼はただ寡黙…
山口県の秋吉台を訪れているすまりんたち... www.aranciarossa.work 秋吉台の美東展望所へ行く道の途中に長登(ながのぼり)銅山跡があります ここは古代史ファンの人にとっては知る人ぞ知る場所なのです(^_-)-☆ 広い駐車場の横に 長登銅山文化交流館があります 入館料は大人300円です こぶっちゃんと一緒に記念撮影📷 入るとすぐにシアタールームで銅山についてのビデオを上映して下さいました 誰もいなかったので貸切です(^_-)-☆ ※撮影もOKでした 752年に完成した 奈良 東大寺の大仏 平氏による南都焼討と戦国時代の戦乱で 大仏は2度焼け落ちていますので 創建当時の大仏はほ…
東郷元帥記念公園に立ち寄ると、隣は九段小学校と九段幼稚園だった。 奥に見えているものを紹介したいのだが、別な機会にしよう。九段小学校の東側に路地があり、階段が見えた。 行ってみることにした。訪問日 2024年3月30日、4月18、20日 訪問場所 東京都千代田区三番町3月30日、番町学園通りから上って行ったのだが、4月18日は二七通りから下って行った。追加で晴れた場面の写真を撮りたかったの。4月20日、晴れていたと思ったら、曇ってきたのよ。でも、皇居の周りを歩いている途中で晴れ間が見えてきたので、遠回りになってしまったけれど、再訪したの。でも、現場に着いた時は曇ってきてしまったのよ。下から上を…
戊辰戦争の年(1868年)に大流行 音源や写真といった記録メディアが存在しない時代にも関わらず「宮さん宮さん」は製作された時期、流行した時期が明確に語り継がれています。 ♪宮さん宮さん お馬の前に ヒラヒラするのは 何じゃいな トコトンヤレ トンヤレナ ♪あれは朝敵 征伐せよとの 錦の御旗じゃ 知らないか トコトンヤレ トンヤレナ 作詞は新政府軍の品川弥二郎さんで、歌詞では鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍に勝利した事、薩長土は天皇の勅命を受けた官軍である事が強調されています。 征對大將軍宮が錦旗を高く掲げて出陣し、薩、長軍の士気が大いに昂ると兵に、錦旗に因んだトコトンヤレ節が洛中洛外に流行した。この…
先日東京に行ってきました その際上野の寛永寺で興味深いものを発見しました 東台大戦争図です 東台大戦争図 明治元戊辰年五月十五日 | Keio Object Hub: 慶應義塾のアート&カルチャーを発信するポータルサイト新政府軍と旧幕府側の彰義隊による上野戦争を描いた永島芳虎の錦絵。元は9枚組だが左端の2枚が欠けている。上野戦争は錦絵の題材objecthub.keio.ac.jp 新政府軍と旧幕府側の彰義隊による上野戦争を描いた永島芳虎の錦絵。元は9枚組だが左端の2枚が欠けている。上野戦争は錦絵の題材として盛んに取り上げられ、多くの絵師によりさまざまな種類が出板された。永島芳虎は歌川芳虎の別名…
日本史 今日も明治維新の続きから。 金融制度 政府は、不換紙幣を発行するが、誰も信用できず、出回らなかった。 1871年 新貨条例 円、銭、厘を採用する。 金本位制の確立が目的。しかし、金不足で、実際は金銀複本位制だった。 ※金本位制というのは、金と紙幣を交換する制度のことである。 この頃、金が不足していたのは、江戸の幕末、金銀交換比率の相違によって、大量に海外に流出していたから。 1872年 国立銀行条例 アメリカナショナル・バンクにならった民間銀行。 兌換紙幣(金銀と交換してくれる)を発行した。 中心:渋沢栄一 なぜ、民間が銀行を作る? →政府にお金(金)がなかったため。 とはいえ、民間に…
もうひとつ京都への旅を触発してくれたのが、岩波新書の「京都の歴史を歩く*1」。京都の歴史・文化にまつわる15の道を紹介してくれている。夫婦で読み込み、実際に歩いてみることにした。今回選んだのは「志士の道~高瀬川」である。 高瀬川は川ではなく、物流用に整備された用水路である。京都市役所に近い二条木屋町に始まり、鴨川と並行に京都駅の南まで続く。木材輸送にも使われ、周辺に材木問屋が集まったので木屋町という。芸妓さんで有名な先斗町も近く、物流に使われなくなった今は、おしゃれな店が立ち並ぶ道だ。 船入りという運搬船の向きを変えたり、荷物を扱う用水脇のプールが、9つあった。しかし今は最北端の「一之船入」以…
上野公園から不忍池のほうに斜めに降りていく細い石段がある。目立たないが緑に囲まれて、なかなか雰囲気のある階段だ。朝そこを下っていくと、斜面側の手すりの石のポールの一つ一つにカラスがとまっていた。 ふだんあまり人が通る時間帯でもないのだろう。警戒しつつも、何しに来たとばかりに上ってくる人間を見つめている。そう長い階段ではないが、カラスの黒い灯篭が下のほうまで連なっているのは、黄泉の世界にでも向かっているような不気味な光景だった。 こちらはただ散歩の途中で通りがかっただけなのだが、少しでもひるんだら一斉にとびかかってきそうな気配だった。互いに何か声をかけあっている様子だが、何を言っているのかわから…
☆◆ 今日のつぶやき・覚え書き ☆◆ 今日は(2024年)令和6年弥生(やよい)3月15日(金曜日)先勝です。・・・ 奈良(北部)の天気予報・ ・ 晴 ・・ 17℃・3℃・・・ (^^)今日も お立ち寄り 下さいまして 感謝します(^^) 今日は何の日。 お話しのネタ があれば幸いです。 (^^) ☆◆ ~今日は何の日~ ☆◆ ☆◆ 3月15日は 社日 (春3月・秋9月 雑節) 「社日(しゃにち)」は、「雑節」の一つで、生まれた土地の守護神である「産土神(うぶすながみ)」を祀る日である。 春と秋の年2回あり、春の社日を「春社(しゅんしゃ)」、秋の社日を「秋社(しゅうしゃ)」ともいう。古代中国に…
行って来ました! 3月3日にオープンしたインド料理店 「モティマハル」 先日の従兄弟会の時に、従兄弟と相談して行くことを決定し、混むと嫌なので電話で予約までする周到さです! お店に入ると数人のお客さん。 まず、店内に入っての感想としては…… 壁紙を貼り替えてありますが、テーブル等の配置に関しては以前の店と一緒でした。 そしてメニューを拝見。 さすがにインド料理店だけあって、牛肉のメニューはいっさいありません。 インドといえば人口の80%がヒンドゥー教徒で牛を食べず、人口の14%がイスラム教徒で豚肉を食べません。 だから「インド人は牛と豚を食わない」で、ほぼ間違いありません。あのマクドナルドだっ…
最高気温が10度を超える日が連続して続くようになり、ようやく春めいてきた東京地方。3月も半ばとなってそろそろ新入学のことも気になってくる週末金曜日ですが、今日は「靴の日・靴の記念日」なのだそうです。 1870年(明治3年)の今日、実業家・西村勝三が東京の築地入船町に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した日なのだそうです。それを記念して日本靴連盟1932(昭和7)年に制定。ヨーロッパの靴が日本に入って来たのは幕末だったようですが、日本人の足にはあいにくかったため、日本陸軍の創始者である大村益次郎の提案によって作られた工場でした。この工場で日本人の足に合う靴が作られるようになり、それまで草…
去る令和6年(2024)3月10日(日)、少々肌寒い陽気のなか、日本史跡研究 会 令和5年度 第1回博物館研修 特別展『中尊寺金色堂』~上野公園界隈踏査も兼ねて ~を開催致しました。 参加者は5名(奈良大学通信教育部生はスクーリング期間中であったので、残念なが ら0名💦)でしたが、約18,000歩ほどの踏査という足が痛くなりそうな感じでし た(+_+) 午前8時45分。JR上野駅 入谷改札(パンダ橋口)に集合した一行(当初は3名で 昼に2名合流)。さっそく踏査開始です。 🔵 上野駅東西自由通路建設地点の遺跡 台東区上野公園5 パンダ橋石碑脇に案内板があります。なかなか気にすることがないのではな…
やることがありすぎて脳みそがパニック状態になってる。 自分の能力を遥かに超えていることをしていると思う。 何か言っても、いい年こいた大人がなにを言ってるんだとしかみてくれない。 でも、やると言ったからにはやる。 それが責任というものだ。 責任があるから、途中で投げ出すわけにはいかない。 途中で投げ出せないから辛い。 それが判っているから誰も責任ある立場になりたがらない。 結局、こき使いやすい奴がこき使われる。口うるさくいう奴には声をかけない。かくして、こき使われやすい奴だけが苦い汁を飲むことになる。 でも、それでいいんじゃないかな。 持ちつ持たれつ、それが世の中だもの。 【きょうの一枚】公民館…
昭和47年6月25日発行 昭和52年3月10日26刷 横浜では英語の看板しか出ていないのを見て、諭吉は英語を蔵六と一緒に学ぼうとしたが蔵六は関心を示さなかった。しかしやはり英語を学ぶ必要があると感じた蔵六は原田敬作と共にヘボンに英語を習った。長州藩は蔵六が惜しくなり、幕府の教授を辞めさせ、長州に帰国させ、蔵六は博習堂を起こした。長州藩の攘夷思想は蔵六に影響を与え、諭吉は蔵六と距離を置いた。桂は蔵六に長州の青年を留学させることへの意見を聞き、蔵六は大黒屋の番頭貞次郎なら協力してくれるとして賛成した。この留学生の中に伊藤と井上がいた。京の治安が悪化する中、新撰組が成立した。京で得意絶頂だった長州は…