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大和銀行

(一般)
だいわぎんこう

証券業を営んでいた野村徳七(1878〜1945)によって設立された大阪野村銀行を祖とする信託兼営の都市銀行
証券業界から派生した都市銀行としては唯一の存在。商業銀行業務の他に、信託部門と証券部門を兼営していた

昭和恐慌期に米国のグラス・スティーガル法を参考に、政府から三部門の分離を要請され、証券部門を分離(後の野村證券)
戦後、GHQによる財閥商号禁止令に基づき、行名を大和銀行に変更。政府の長短分離政策に基づく信託部門分離要請を拒否し、野村證券との間で信託銀行設立を図るが調整に失敗。都市銀行としては北海道拓殖銀行とともに信託兼営行として、信託業を営む(野村證券の信託部門は、後の東洋信託銀行)

70年代に野村證券との関係が途絶し、以来金融財閥としての野村財閥の関係は薄れる。大阪を地盤とする都市銀行としては、経営基盤が弱体だったが「住友でもなく三和でもない」庶民の銀行として親しまれてきた

しかし90年代に入り、バブル期の過剰融資問題に加え、ニューヨーク支店での巨額損失事件に絡む不正行為で海外業務から撤退し、経営が悪化が表面化。関東での店舗縮小や、システム部門のIBMへアウトソーシング(都銀としては初)、地銀第二地銀をグループ化して米国流のリージョナルバンクを目指すが、あさひ銀行との経営統合を決断

2003年3月、りそな銀行となった

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