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多村仁

(スポーツ)
たむらひとし

プロ野球選手(外野手)。
1977年3月28日生まれ。神奈川県出身。右投右打。通称「スペランカー」。*1登録名・多村仁志*2
入団から2003年までの9年間で通算186安打、32本塁打、97打点だったが、2004年に多少の怪我をおして出場したところ、137安打、40本塁打、100打点を記録、プロ入り初の規定打席到達ならびに打率3割を達成した。
打撃コーチである田代富雄の薫陶を受け、リーグを代表する和製大砲へと成長。
堅実な守備と右方向への長打が特徴。
2006年はWBCでチーム内最多本塁打を打つなど活躍したが、シーズンは相次ぐ怪我でわずか39試合の出場に留まる。
契約更改で保留することで有名。
2007年は新天地福岡で144試合全試合出場を目標としている。
2010年、オールスターゲームに初出場。この年は恒例の故障離脱もなく、一年を通して活躍しホークスのリーグ優勝に貢献。
2012年オフ、3対3の大型トレードでベイスターズに復帰。
2016年、中日ドラゴンズに移籍。

2003年までの多村仁へのイメージ

普通にいけば、3割30本も夢じゃないような打撃センスを持っているのだが球団のポスター撮影中にジャンプして右足関節捻挫、キャッチボール中でぎっくり腰など、プロ野球選手とは思えないような体の弱さをも併せ持つ。

経歴

年度 所属 背番号 備考
1992-1994 横浜高校 - 甲子園出場あり*3
1995-2006 横浜ベイスターズ 52→55→6 1994年ドラフト4位
2007-2012 福岡ソフトバンクホークス 6 寺原隼人との交換トレード
2013-2015 横浜DeNAベイスターズ 52→8 多村・吉川輝昭・神内靖⇔吉村裕基・山本省吾・江尻慎太郎との交換トレード
2016- 中日ドラゴンズ 215 育成選手としての契約

怪我歴

2007年

11/24 北京オリンピック野球代表最終候補だったが、腰痛でオーストラリアとの試合に出られず。そのまま辞退。
8/17 腰痛のため欠場
7/2 「ちょっと鼻がムズムズする」ので全体練習を早退。病院で検査を受け、宿舎で静養。翌日の試合ではホームランを打つ。
6/20 左ふくらはぎに自打球を当て途中交代。この日、多村は視覚障害者100人を招待していた。
6/9 一回の走塁でホーム突入の際審判とぶつかり、左太もも裏を痛める。二回の守備から交代。軽度の筋膜炎。
5/19 二塁へゲッツー崩しを狙った際、相手二塁手に足首に乗っかられる。交代はせず。
5/15 相手サードの二塁送球が股間に命中。交代はせず。
4/29 5回、浅いフライにスライディングキャッチを試みた際に、4日に痛めた個所と同じ、左太ももを痛め、6回の守備から途中交代。
4/7 欠場。2007年シーズン連続試合出場が途切れる。全試合出場の目標は達成できず。
4/4 サードゴロを放ち、一塁を駆け抜けた際に左太ももが硬直し、全く歩けなくなり途中交代。左大腿二頭筋の筋膜炎。次の日は代打での出場。
3/17 試合前の守備練習で右手中指を負傷。試合には強行出場し、ホームランを打つ。
3/13 一回の打席で自打球を左足に当て、この打席限りで交代。試合中に病院へ行き、診断は打撲。
3/11 新幹線で移動中、前の座席の人が松浦亜弥だったと気付かず、自分の鈍感さにショックを受ける。
3/5 おやしらずを抜くも、翌日OP戦で移籍後初ホームラン。
2/12 右足かかとに異変を感じたが、幸いにも軽症で右アキレス腱周囲炎。トレーナーの話を聞く限り、単なる靴擦れではないかと思われる。

2006年

12/25 松中信彦内野手が多村の加入ということもあり、外野フェンスを軟らかいラバーに変えるよう要望。しっかり「ガラスの大砲」であることを印象付けられる。
10/24 右腰に痛みを訴え、秋季練習を欠席。
8/27 ベースランニング中に左足の内転筋に強い張りを感じたため途中交代
8/20 復帰後なんと2試合フル出場したものの、死球の影響と腰痛でスタメン落ち。
6/8 再検査の結果、左肋骨7番〜10番の骨折と左手薬指靱帯負傷。完治まで2ヶ月とされ、前半戦絶望。
6/7 捻挫からの復帰第一打席後、本塁突入の際、捕手と激突し古傷の左脇腹を痛めて退場。検査の結果、左肋軟骨の挫傷の疑い。*4
6/3 バウンドが変化した打球を追いかけた際に左足首捻挫。途中交代。
5/26 前日、神の手の整体師に体のズレを直してもらったにも拘らず、両足の張りと脇腹の張りで途中交代。
4/19 打撃練習中に左肋軟骨を挫傷。翌日登録抹消。
4/17 左太腿に違和感。
4/9 4/8に出塁した際、帰塁時に首・肩を痛め、代打のみの出場。首の骨のズレ。
4/7 左耳付け根付近の腫れ物(炎症性アテローム)による39度の高熱のため1打席のみで交代
4/4 試合前に「食わず嫌い王決定戦」収録で荒川静香と対戦。大嫌いなアンチョビパスタを食べさせられ、もどしかける。
2/1 契約更改で保留を繰り返し自費キャンプ突入
1/16 ライブドアとマネジメント契約を交わすが、ライブドアが証券取引法違反の疑いで強制捜査される*5

2005年

9/28 交通事故の後遺症がないか調べるため血管造影検査を受け、異常はなかったが検査後体調不良で欠場。
8/19 オフィシャルショップの事務所で水道菅*6破裂による水害が発生。
6/29 横須賀の練習場へ向かう途中、愛車が雨でスリップし、側壁に衝突。エアバッグの衝撃で左顔面と左肩を打撲。自分で119番し、検査のため緊急入院。
6/21〜 疲労をおして出場を続けるも、靴紐を結ぼうとした際にぎっくり腰を発症し、自宅休養。翌日登録抹消。
6/14 自打球を右足甲に当て途中交代。
6/4〜5 痛めた右肘の影響か、指名打者として出場。
5/20 中堅手からバックホームの際、右肘を痛める。
5/6〜7 GW中からの発熱を押して出場するも無理がたたり気管支炎に悪化し、欠場。
4/24 三塁ゴロを打ちヘッドスライディングを敢行するもアウト。右肩負傷で途中交代。
3/30 全試合出場を目標に掲げていたが、開幕直前にインフルエンザに罹り緊急入院。開幕三連戦の出場を断念。
2/11 沖縄で野球教室を開き、肩に野球バックを掛けたまま数百人にサインした結果、左肩が内出血。
1/ 1 寒川神社に初詣に行き家族の健康などを祈願するが、自分が風邪をひいてしまう。

2004年

9/19 ストライキの際の握手会で左掌の炎症し、その後2日連続スタメン落ち
8/28 ファインプレーをした際に膝を強打し途中交代
8/11 試合前の練習中に腰を痛めてスタメン落ち
6/24 前日の試合で空振りした際に肩を痛めスタメン落ち
6/ 5 フェンスに激突でセルフエルボー、途中交代
5/ 3 キャッチボールでぎっくり腰、登録抹消
4/30 試合中、突然カゼをひいて退場→診療所で点滴
2/27 ポスター撮影中にジャンプして右足関節捻挫

2003年

10/6 風邪でスタメン落ち。そのままスタメンに戻ることなく全日程が終了
9/25 スタメン復帰、死球で途中交代
9/23 発熱でスタメン落ち
9/15 肩痛でスタメン落ち
8/22 脱水症状
8/11 左手首痛でスタメン落ち
8/ 5 腰痛で途中交代
5/14 左手親指のじん帯断裂で二軍落ち

リスト::野球選手

*1:些細なことで怪我をすることより命名。

*2:2009年5月22日から

*3:高校時代は、3番斉藤宜之・4番紀田彰一・5番が多村。1994年、対那覇商戦で、紀田が4四球で歩かされた後、多村は凡打を繰り返した。

*4:また、この試合で金城外野手、佐伯内野手も負傷している。

*5:同月にライブドアとのマネジメント契約は解消した。

*6:水道管ではない

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