“psychothérapie institutionnelle”
病院の運営や活動だけでなく、医師・看護師・患者間の人間関係や視線をも病院環境を形成する《制度》と捉え、そこで生きられる分析と組み直しを重視するフランス精神医学の流派*1。 フランソワ・トスケル、ジャン・ウリ、フェリックス・ガタリなどが提唱する。 日本の取り組みとしては、精神科医である高江洲義英、菅原道哉、三脇康生など。
説明のなかで、「制度的(制度における、制度に対する)精神療法」と記されている。 臨床実践の趣旨にもとづく敷衍的な意訳だが、非常に示唆的。
フェリックス・ガタリ他『精神の管理社会をどう超えるか』杉村・三脇・村澤編訳、松籟社、2000年においては制度論的という訳語を筆者は共同編者と相談して用いたが、ラボルド病院で行なわれているのは、実は治療の前提として制度を論じるのではなく、精神療法のベースになる制度を改編しながら行なう精神療法、つまり制度改編がそのまま治療に到達するという意味へ変換したいと考えたため、この論文では別の訳を用いる。
論じてから改編して治療を行うというようなヘーゲル的な弁証法が入り込むようなシステムがラボルドのシステムではない。 そのプロセスの間隔が非常に短く、あるいはここというときは非常に長い。 この長さを決める決断力(リズムの判断力)はある意味でサルトル以降の緊張感が生きているのだと思われるが、日本の新左翼(経由の精神科医やその周辺の人々)はその辺りの判断力の議論が、今や全く不十分であるように思える。
〔制度分析(analyse institutionnelle)は〕 「制度における、制度による、制度に対する」働きかけなのである。 ガタリは言う。 「このような〔医療〕環境の分析プロセスを、外部から行なうことはできないと強調しておこう。それは制度それ自体と一体化しなくてはならない」*5。 (略) ガタリの60年代の実践が私たちの考察に残してくれたのは、制度概念そのものの創造性である。 「制度によって、制度に対して」引き起こされるものであるからこそ、「制度における」特異性の生産を制度化することができる。 (pp.143-4、強調は引用者)
*1:まったく同じ趣旨で、教育の運動もある(pédagogie institutionnelle)。 【参照:『学校教育を変える制度論―教育の現場と精神医療が真に出会うために』】
*2:「第39回 日本芸術療法学会」(2007年10月27〜28日)
*3:【参照】: 雑誌『思想』2007年6月号 三脇康生 「精神科医ジャン・ウリの仕事――制度分析とは何か」
*4:平成15-17年度 科学研究費補助金(基盤研究(B)(2)) 研究成果報告書 『病院環境をめぐる思想――フランス精神医学制度の歴史と現状から見えてくるもの』(研究代表者:多賀茂) pp.139-157
*5:ガタリ『精神分析と横断性: 制度分析の試み (叢書・ウニベルシタス)』p.107