法律を法律たらしめる理屈に悩んだ近代であり、それは代表制をならしめるフィクションの歴史である。 公権力の振る舞いは、役割としての振る舞いである。それは、国民とて同じだ。国民は理性的に法を定め、法により公権力に従う。あくまで、決め事として公権力があり、国民とて規定された存在だ。だから「代表」は「代表しない」というパラドックスが生じする。代表は、選ばれたから代表なんじゃん、というのは手続きの正当性なのであって、選ばれた者が集まって、その代表性をどう発揮するかは別なのだ。近代とは、そのことに悩み続けたと言っていい。 高らかに雄々しく選良であると宣言したところで、ある一定の手続きに基づいたその時点での…