元官僚。評論家。
1930年(昭和5年)12月11日、生まれ。2018年(平成30年)10月10日、死去。
第二次中曽根康弘内閣、後藤田正晴官房長官の元、初代内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長として知られる。「危機管理」の言葉を作った。
20年に及ぶ警察歴任の間、ケネディ暗殺事件調査、東大安田講堂事件、新宿騒擾、連合赤軍あさま山荘事件、よど号・ドバイ・シンガポール事件など一連のハイジャック事件、金大中事件、フォード大統領・エリザベス女王訪日警備、連続企業爆破事件、沖縄ひめゆりの塔事件などの事件処理を指揮。
外務省出向・香港領事として在任中には、香港暴動、マカオ事件、サイゴン・テト攻勢などで主に在留邦人の保護を担当。9年間の防衛庁出向では、ブルーインパルス墜落事故、KAL撃墜事件などの事件処理の任を果たす。
1986年(昭和61年)に初代内閣安全保障室長に就任。以後、3年間に三原山噴火、ソウルオリンピック警備、なだしお事件、大喪の礼、治安警備担当委員としてその任務を果たした。
英国C・B・E勲章、ドイツ連邦殊勲十字章、米軍民間人功労賞受賞。
2001年(平成13年)には勲二等旭日重光章受章。