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仲宗根政善

(一般)
なかそねせいぜん

1907年〜1995年
言語学者・琉球方言学者。琉球大学名誉教授。

琉球方言研究の父、仲宗根政善
 仲宗根政善先生(琉球大学名誉教授、初代沖縄言語研究センター代表)は、一九〇七(明治四〇)年四月沖縄県国頭郡今帰仁村字与那嶺に生まれる。ふるさと今帰仁をこよなく愛し、同時に沖縄のことを思い続けた戦後の沖縄を代表する学者であった。一九八三年ライフワークの『沖縄今帰仁方言辞典』(角川書店。以下『辞典』)を出版し、一九八四年に沖縄県出身者としては初めての日本学士院賞を受賞なされた。『辞典』は仲宗根先生(「先生」と呼びならわしてきたので、ここでもおゆるしねがいたい)が琉球方言研究に関して最初に出版したものであった。仲宗根先生は、終戦五〇年目の一九九五年二月に他界された。琉球方言研究を代表する学者として、また、多くの教師や研究者をそだてた教育者としてたくさんの人から敬愛されただけでなく、『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』の編著者としても、戦後ずっと反戦平和を訴えつづけ、沖縄における平和運動を推進した人としてもしられている。
 一九二九年に東京帝国大学に入学し、橋本進吉教授の教えをうけ、服部四郎氏と出会い、言語研究の道をすすむことになる。また、東京では伊波普猷や柳田国男にも直接学ぶ機会にめぐまれ、大きな影響をうけるのである。一九三二年に始めての論文「今帰仁方言における語頭母音の無声化」(『南島談話』)を発表する。卒業後も東京での研究を切望されたが、昭和初期の不況下で、東京での就職がかなわず、やむなく帰郷して沖縄本島北部にあった沖縄県立第三中学校(現名護高校の前身)に就職する。教鞭をとるかたわら、東京に住む伊波普猷からの依頼にこたえてフィールドに出かけたり、沖縄本島北部の村々からあつまってくる学生を相手に方言調査をしたりしながら充実した日々をおくられたようである。その成果が「国頭方言の音韻」(『方言』第4巻第10号)、「加行変格「来る」の国頭方言の活用について」(『南島論叢』一九三七)として発表されている。学生時代に服部四郎氏からマンツーマンで音声学を学んだ仲宗根先生らしい論文で、比較方言学の論文としていまでも輝きをうしなっていない。(後略)島袋幸子 「国文学 解釈と鑑賞」特集:復帰30年の沖縄と琉球方言 至文堂 181−182頁 2002年7月号

1. 方言学者としての仲宗根政善先生
琉球大学名誉教授で私どもの琉球方言研究のための研究組織, 沖縄言語研究センターの代表をお引き受けいただいている国語学専攻の仲宗根政善先生は,沖縄戦におけるひめゆり学徒の引率者として,女生徒たちに命の尊さを教え,かつ戦後は亡くなった自分の生徒たちを供養し続けた平和主義者としても,また,沖縄戦直後の灰塵と瓦礫の中から,沖縄における教育を復興させる仕事に尽力された教育者としても,つとに著名な方でありますが,自らの専門とせられた琉球方言研究と,沖縄における琉球方言研究者の養成に尽くされた業績もまた,極めて大きなものであります。


一口にいいますと,仲宗根先生は第2次世界大戦前の琉球方言研究と大戦後の研究とをつなぐ役割をつとめ,かつ,戦前までは,どちらかといえば東京を中心にして,伊波普猷,宮良当壮,金城朝永など,主に少数の沖縄県出身の研究者によって進められてきた琉球方言研究を,長年のご自分の研究を通じて,また琉球大学国文科における,多くの弟子の方言研究者の養成を通じて,地元沖縄にしっかりと根づかせる仕事をなすった方であるといえます。


親友の服部四郎(言語学,東京大学名誉教授,文化勲章受賞者)らとともに東京大学文学部で橋本進吉らに国語学を学び,研究者を志望しつつも,昭和初期の不況で東京に職を得られず,故郷今帰仁(なきじん)に近い沖縄北部,名護の沖縄県立第3中学校の教諭となられた仲宗根政善先生は,戦前ご発表になった沖縄北部国頭地方の方言に関する少数の論文をのぞけば,沖縄県立第3中学校の教諭時代以降十数年間にわたりお集めになられ,沖縄戦の戦場でも大切に持ち歩かれたという琉球列島諸方言に関する蓄積された貴重な資料を,沖縄戦で一旦すべて失ってしまわれました。そして戦争ですべてが灰塵に帰し,かつ復興が本土よりずっと遅れた沖縄で,先生が琉球方言の研究を再開なさるのは1950年代に入ってからですが,その頃, 先生は国立国語研究所の沖縄担当の地方研究員として,復帰前の沖縄のまだ交通不便であった宮古諸島,八重山諸島を含む60箇所以上の地点の方言を自ら調査なさって,国立国語研究所の『日本言語地図』の作成に多大の協力をなさるとともに,国立国語研究所から出版された琉球王国の旧都, 首里の方言を対象とした『沖縄語辞典』(1963)に大いに啓発されつつ,ご自分の故郷の国頭郡今帰仁村与那嶺方言研究の集大成である『沖縄今帰仁方言辞典』を,数次にわたって書きかえられた稿本の段階を経て,1983年に完成なさいました。この今帰仁方言は, 首里方言など,沖縄中南部方言と対立し,これと大きく異なる沖縄北部方言に属するために,その学術的価値は大きく,琉球方言を対象にしたこの2冊の方言辞典は日本語方言学史上の最も優れた学術的業績に属するものであるといえます。

研究者としては極めて地味な, かつ慎重な態度を堅持され,それゆえ発表された琉球方言に関する著作は多くはないのですが,その研究の関心は琉球列島の諸方言全体,そして「おもろさうし」などの古典琉球語,そして琉球方言と日本語古代語の比較などの広い分野におよび,戦後研究を再開されてから老衰によって研究の第一線から退かれるまでに集められ,書き留められた未公刊の膨大な方言研究資料は, 先年琉球大学図書館へ一括して移管されて, 目下同先生の同郷の弟子の研究者によって整理が進められつつあり,この研究資料は今後の琉球方言研究に大きく役立てられることになるかと思われます。


また,先生は琉球大学における教育活動を通じて,師弟からまれにみるほど敬愛される指導者として,多くの方言研究者を育てられました。今日隆盛している琉球方言研究はその大部分が先生の薫陶を受けた人々によって成し遂げられたものだといえます。本土方言とともに日本語を二分し, また日本語の成立の歴史の研究上無視することのできない, 日本語方言学の宝庫ともいうべき琉球方言の研究は近年たいへん盛んになったともいえますが, 先生を抜きにして今日の琉球方言研究について語ることは考えられません。


なお,この推薦文を書いている筆者も,かつて東京で国立国語研究所において琉球方言を研究し,その過程で先生の業績と人柄を知り,先生の招きによって琉球大学における先生の仕事のあとを継ぐことに喜びを感じるに至った者であることを付け加えさせていただきます。上村幸雄 仲宗根政善先生とその資料について

沖縄今帰仁方言辞典―今帰仁方言の研究・語彙篇 (1983年)

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琉球の言語と文化 (1982年)

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ひめゆりと生きて 仲宗根政善日記

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ひめゆりの塔をめぐる人々の手記 (角川ソフィア文庫)

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