元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。
1967年9月18日生まれ。滋賀県出身。身長182cm、体重72kg。
国際Aマッチ122caps5goals Jリーグ(J1リーグ)通算297試合出場。
守山高校時代にはFWだったが、筑波大学進学後にDFに転向。中山雅史は大学の同期。
大学時代に当時の横山謙三監督からサッカー日本代表に選出され、以降ハンス・オフト、ファルカン、加茂周、岡田武史、フィリップ・トルシエと監督が変わる中でもDFの要として代表に選ばれ続け、1998年FIFAワールドカップでは主将も務めた。
代表最後の試合は1999年のコパ・アメリカでのボリビア戦。国際Aマッチ出場122試合は、 遠藤保仁に抜かれるまで日本歴代最多だった。
「アジアの壁」「アジアのリベロ」の異名を持ち、 三浦知良(カズ)と並んで1990年代の日本サッカー界を代表する存在だった。
1999年から2001年まで、2代目Jリーグ選手協会(現・日本プロサッカー選手会)会長も務めた。
2002年を最後に現役引退、指導者に転身した。
2006年、JFA公認S級コーチライセンスを取得。
井原正巳DVDバイオグラフィー グレートディフェンダー・日本代表の軌跡