1902年(明治35年)〜1979年(昭和54年)。小説家・詩人。福井県出身で、金沢市の旧制第四高校(現在の金沢大学の前身)に在学中、室生犀星の薫陶を受ける。 もともとは抒情的な作風で知られていたが、プロレタリア文学に傾倒するにつれ、痛烈な諷刺作品が増える。日本共産党の党員だったが、諸事情があって除名処分となる。 amazon:中野重治
永山正昭『と いう人びと』(西田書店、1987)。こういう本は、けっして古書肆に出したりはしない。 著者は海員組合でひと苦労したあと、「しんぶん赤旗」の編集部員だった。労働組合運動隆盛の戦後期にあってさえ、ひときわ激しかったとされる船員組合の逸話は、現在となっては伝説だろうが、その時代を知る著者である。 が、本書は労働組合運動史でも日本共産党史でもない。折おりに接した先輩知友の人柄を偲ばせる逸話集にして、人物回想録である。十名を超える人びとの横顔が回想されてあるが、労働運動や党活動のなかで接した人だろうから、私ごときが名を知る人はほとんどない。中野重治と広津和郎くらいのもんだ。 七曲り八曲りあ…
未練なく諦めがつく本と、うしろ髪引かれる本とがある。文学的評価とは関係ない。内容の稀少度(いわば文化的価値)とも市場価格とも関係ない。 『中野重治全集』第七巻第八巻を古書肆に出す。巨篇『甲乙丙丁』収録巻だ。もともとそのつど個別買いした不揃い全集だから、ばらしてしまうに躊躇はない。 『甲乙丙丁』は、かつて渦中に身を置いた文豪による、日本共産党初期運動の動かしがたき裏面証言である。あくまでも小説ではあるが、今日では後進の研究によって、おびただしい数にのぼる登場人物たちのモデルがそれぞれ実在した誰であるか、「作中人物とモデルの対照一覧表」まで出ている。かつて挑んで、早そうに挫折した。基礎知識貧弱な私…
『斎藤茂吉全集』全36巻(岩波書店、1973 - 76)。 宇野浩二の神経衰弱がひどくなって、だれの眼にも療養が必要と瞭かになったとき、夫人から相談された広津和郎はまずもって、青山脳病院の斎藤茂吉院長に往診を依頼した。他の往診先の帰途、こころよく立寄ってくれた茂吉は宇野を丁寧に診察してくれたが、その場のもようを広津和郎は後年『あの時代』に書き留めている。 「夜は、ゆっくり眠れますかな?」 「はい。二時間も眠れば十分です。またいくらでも、仕事ができます」 「それはよろしいですなぁ」 病状を認めたくない強気の宇野をあやすように、茂吉は丁重な口調で問診したという。診察後、別室で広津は茂吉に今後の養生…
先日に放送があった「そして、水色の家は残った」というBSの番組ですが、 再放送のときに録画をして、気になっているところを見返すことになりです。 この番組は、世田谷区で一番古い洋館ということになっている建物は、誰に よって建てられ、どのような人が住まって、これからはどうなるのかというこ とで番組作りがされていました。 当方は、まったく知らない世界ですが、人気漫画家の山下和美さんという方 が声をあげて、この建物の保存団体を作って活動をしているとのことです。 この山下さんの作品が、広くこの洋館を世の中に知らせることになったよう です。 世田谷イチ古い洋館の家主になる 1 (ヤングジャンプコミックスD…
田端は坂の多い町です。 大正3年、田端に越してきたばかりの、当時まだ東京帝国大学の学生であった芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が、友人の井川恭に宛てた手紙(大正3.11.30)で、 「たゞ厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂がある事だ それが柳町の坂位長くつて路幅があの半分位しかない だから雨のふるときは足駄で下りるのは大分難渋だ そこで雨のふるときは一寸学校が休みたくなる」 と書いて送るほど。 (一高時代の芥川龍之介) 芥川が田端に引っ越してきた頃の田端駅は、けっこう長い間工事中で、現在の田端駅の場所とは違うところ(現在の田端駅より北西、京浜東北線と山手線が分岐…
〈転向の定義〉鶴見俊輔 『村の家』成立の時代情勢① 『村の家』の内容 知識人と日本の民衆 社会主義運動からの獄中転向 父孫蔵との相克 知識人と日本の民衆 社会主義運動からの獄中転向 父孫蔵との相克 『村の家』成立の時代情勢② 「罠」とは何か 父子にとっての「筆」 同じく彼らにとっての「恥」 その「罠」とは何か 〈転向〉する知識人 私小説『村の家』 〈転向の定義〉鶴見俊輔 鶴見俊輔は〈転向〉を「権力によって強制されたためにおこる思想の変化」*1と定義している。これだけ見ると、「権力」と「強制」にアクセントがつきすぎていて、じっさいには自らすすんで、という自発性とうしろ暗さ、それから節を変えたとい…
詩を愛するいち読者として中野の詩集を買い求めた。 楽天から届いてみると、一括重版の帯が。 そうか、今まで品薄だったのか。 令和3年現在、中野はあまり読まれていない(ように思う)。彼の政治思想が新規読者獲得の妨げになっているのかもしれないし、そうではない理由で遠巻きにされているのかもしれない。 言葉の贅肉を削りとった文体を読むことは蒸留酒を生でやることに似ていて、わたしにとって中野は代わりのきかぬ文豪である。
お政「あんたには、いろんなこと、教わったねえ」 長窪の佐助「あのころは、楽しかったなあ」 偶然の再会から、生き死にをかけた事件に巻込まれてゆく。鬼平犯科帳のとある回。 定番の台詞だが、廃れないのは、茶の間のだれもに、同感する想いがあるからだろう。しかしほんとうに、昔は楽しかったのだろうか。これにはふたつの側面がある気がする。自分も元気だった、無茶しても平気だったと、わが活力を懐かしむ面。もうひとつは、人間の脳に、苦労の記憶は薄れて佳き思い出だけが残るという、自己防衛機能が備わっているという面。が、その噺は今日は措いといて。 佐助役は本田博太郎さん。大好きな役者さんだ。あまり取換えの利かぬ役者だ…
日本精神史 近代篇 下 (講談社選書メチエ) 作者:長谷川 宏 講談社 Amazon 『日本精神史 近代篇 下』長谷川 宏著を読む。 下巻は、軍国ファシズム下から敗戦後、高度経済成長下を経ての「日本の美術・思想・文学を、人々の精神の歴史として描く」。感じたことなどをとりとめもなく、引用多めで。 〇『細雪』が「陸軍報道部の圧力で連載中止」となった。しかし、谷崎潤一郎は「ひそかに書きつづって」いた。「戦争の影をほとんどとどめない」ことは、作家として「戦争の時代に抗する」姿勢だと。 〇旧制中学時代に聴力を失った画家・松本俊介。そのため戦時下、招集されることもなかった。「負い目」を越えて「清澄かつ静謐…
昨日も書きましたが、春、中国各地から花の便りが。 こちらは、北京雍和宫 の”梨の花”の便り。 団体旅行ではあんまりいかないですかね・・ ここは、今頃行くと丁度見れますよねこれ、 最初にここでこれを見たときには、わたしは、 それまで”梨の花”を見たことがなかったし、 知らなかった。ですので、これを桜の花と 見間違えまして、丁度、時期的には桜の時期 でもあり、おぉ~ここでお花見かぁ~と、 喜んでいたら、どうも、周りの中国人の言ってる のが・・・リ・ファ・・と聞こえる、 そうね、どう聞いても。漂亮ピィァォ・リャン! 「キレイ~」ってのは良いにしても、 どうも違うようだ。サクラじやない。 後になって、…
1/1(月) 本当のところ愛する者だけが相手を傷つけることができるのだ。 (ホルヘ・ルイス・ボルヘス『闇を讃えて』斎藤幸男訳 水声社 p8) 誤りだけがわれわれのものだ。 (p11) これらのしるしはわたしの永遠からこぼれ落ちるのだ。 (p21) われらはわれらの記憶、常ならぬ形象にあふれた空想の博物館、破れた鏡の寄せ集めにすぎない。 (p29) 代る代るに演じてきた自分をもはや覚えていないわたしは単調極まりない壁と壁とが取り巻く厭わしい道、運命を今なぞり行くのだ。 (p38) わたしはあなたが知らずに救う人々なのだ。 (p103) 1/2(火)その1 『辻邦生 全短篇1』(中公文庫 1986…
3月なのでライオンになっちゃうとこだった! 先月の。 2024年2月に読んだ本と近況 - 宇宙、日本、練馬
『文豪とアルケミスト 戯作者ノ奏鳴曲』 2023. 2.17-26 東京 品川プリンスホテル ステラボール 3.3-3.5 大阪 森ノ宮ピロティホール 文学作品を守るためにこの世に再び転生した文豪たち。終わりの見えない戦いに虚無感を抱きつつも、織田作之助は同じ無頼派の坂口安吾、そして檀一雄と合流を果たした。残るはその中心的存在の太宰治だけ……。だが、まだ太宰の姿が見当たらない……。 プロレタリアの中野重治や徳永直ともそのことを共有していると、『蟹⼯船』の侵蝕が発生。戸惑いを抱え潜書することができない織田に対し、坂口は共に寄り添い、檀は二人に代わりに戦うことを選び、中野・徳永・草野心平らと奮闘の…
『批評』(復刻版)合本にて全6巻。原本は昭和14年8月創刊、山坂あって最終号は昭和20年2月発行。文芸批評の同人雑誌だ。復刻版刊行にさいして、総索引や解説を付して、歴史研究の一次資料たるの便宜が整えられた。 「山坂あって」というのは、同人雑誌維持の苦労を味わった者であれば容易に想像がつくはずの、窮境やらゴタゴタによって、間遠になった時期もあるという意味だ。しかも窮屈な軍国主義下であり、戦時下である。同人各個の身の上にも身辺事情にも、苦境異変数えだしたら切りがあるまい。徴用された者も、病気療養した者もあったろう。姿を隠さねばならなかった者すらあったかもしれない。むしろよくぞここまで、この雑誌が発…
一九六一年冬風流夢譚事件 (平凡社ライブラリー き 3-1) 作者:京谷 秀夫 平凡社 Amazon 読了日2019/08/13。 周知のように、「風流夢譚」事件は、深沢七郎の小説「風流夢譚」(『中央公論』1960・11)に激怒した右翼団体の少年が、中央公論社社長・嶋中鵬二宅に侵入し、家族とお手伝い二名を殺傷した事件である。要因は、同作の中で夢の中の出来事として、皇族らがギロチンにかけられるという場面が描かれていたのを、不敬だと憤ったためだとされる。 当時『中央公論』編集部次長だった筆者は、まずこの作品について、「人間宣言をしながら象徴という抽象の高みに上らざるをえなかった天皇という存在、天皇…
『友よ、さらば 弔辞大全Ⅰ』/開高健・編/新潮文庫/昭和61年刊 『神とともに行け 弔辞大全Ⅱ』/開高健・編/新潮文庫/昭和61年刊 15年前に少々変わったなりゆきで、物故した陶芸家の追悼文を書いたことは前回に記した。当時その種類の原稿を書いたことのなかった私がまず参考にしたのが、開高健の編集による『友よ、さらば』『神とともに行け』だった。明治から昭和にかけての追悼文の選集で、たとえば昭和17年に萩原朔太郎への追悼を三好達治が書き、昭和39年には三好達治への追悼を中野重治が、昭和54年には中野重治への追悼を佐多稲子が書いている。勝者も敗者もない懸命なリレーのようでもあり、時の奔流に言葉が浮かび…
植民地空間に生まれた「日本語文学」は、 やがて、それが、「皇民」か否か、国家に益あるものか否かが問われ始める。 政治権力と文学の関わりのなかで、収まりどころのない宙ぶらりんの意識が、 生みだす文学がある。 言いかえるならば、国家と結びついた確固たるアイデンティティが求められる状況の中で、揺らぐアイデンティティによって紡ぎだされた境界上の文学があった。 戦時中の台湾の「皇民文学」をめぐって、黒川創はこう語る。 戦争の下でこれら(皇民文学)を書いているのは、周金波がそのとき満21歳、王昶雄が27歳と、時代に早熟を強いられた作家たちである。周金波が、自分たちの世代の文学のありようとして読んだ”皇民文…
海老坂武『戦後文学は生きている』(講談社現代新書)を読む。フランス文学者で大江健三郎の東大での同級生だった海老坂武が日本の戦後文学から20冊を選んで紹介している。 取り上げられた20冊は、 日本戦没学生記念会編『きけ わだつみのこえ』 梅崎春生『桜島』 原民喜『夏の花』 大岡昇平『野火』 開高健『輝ける闇』 坂口安吾『堕落論』 石川淳『焼跡のイエス』 中野重治『五勺の酒』 堀田善衛『広場の孤独』 鶴見俊輔『転向研究』 丸山真男『日本の思想』 高橋和巳『わが解体』 安岡章太郎『海辺の光景』 小田実『何でも見てやろう』 安部公房『砂の女』 大江健三郎『万延元年のフットボール』 森有正『遙かなるノー…
1月30日(火)、旭川ケーブルテレビ「ポテトにこんにちは」に出演させて戴き、なんと「小熊秀雄」について、お話させて戴きました。MCは石川慶太さんです。貴重な機会を賜り心より感謝申し上げます。 小樽のジーンズショップロッキさんの小熊秀雄Tシャツで出演させて戴きました。日野あかねさんの『漫画詩人小熊秀雄物語』、旭川の市民実行委員会が運営する「小熊秀雄賞」、旭川文学資料館、旭川歴史市民劇、詩碑、検閲の時代を生きた小熊秀雄の詩碑のある旭川の詩人としてアフガニスタンの詩作禁止令に抵抗するソマイア・ラミシュ@SomaiaRamishさんのBaamdaadに連帯した詩誌「フラジャイル」第19号の特集、『NO…
大昔、図書館で借りて来た本。 一言…。 烈婦そのもの…。 凄い♀の人だなと思って…。 完全に筋金入りなんてもんじゃない…。 そうでなかったら、中野重治の奥さん務まらないもん…。 チャンチャン
1月25日誕生日の全国35万人の皆さん、おめでとうございます (拙句)陽は回り心輝きシネラリア 雅舟 【花】フウキギク・シネラリア 【花言葉】快活 常に輝かしく【短歌】こころよく陽は回りきてサイネリア精いっぱいに花盛り上げる フウキギクというよりもシネラリアまたはサイネリアと言ったほうがなじみがあります。惜しみない冬陽を浴びてこの花は、盛り上がるように鉢植えに咲いていました。 【季語】シネラリア(サイネリア) 【俳句】サイネリア花たけなはに事務倦みぬ 日野 草城 サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉 佐弓 旅を買うごと一鉢のサイネリア 関田 誓炎 【三行詩】常に輝かしく 快活に 少し無理し…
1953年3月、筑摩書房から刊行された小熊秀雄(1901~1940)の詩集成。編集は中野重治。デッサンは著者。 目次 ・初期詩篇 ・長長秋夜 ・小熊秀雄詩集 序 I II III IX ・飛ぶ橇 風物詩篇 東京風物伝 旭川風物詩 東京短信 ・恋愛詩篇 ・文壇諷刺詩 ・流民詩集 序 (中野重治) 通信詩集 愚鈍詩集 哀憐詩集 漂泊詩集 愛情詩集 ・拾遺詩篇 年譜 遠地輝武 解説 中野重治 NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索
さて次は、谷崎潤一郎の『細雪』を読んでみよう。 『細雪』は、『雪国』とほぼ同時期の昭和11年から16年頃の日本の中上流の家族を描いている。昭和18年からの雑誌掲載は軍部の圧力で中止となるが、発表のあてなく書き継がれて戦後に刊行、評判となった小説である。恐慌や凶作に襲われクーデター未遂まで起きた時代に、『雪国』の島村も『細雪』の蒔岡姉妹も都会人として恵まれた生活を送っていると見える。中野重治は、あの苦しい時代を生きた者として『細雪』はとても読めないのだと言っていたが、戦後生まれの私のような世人にとっても、彼らの生活程度は高度成長期を経てやっとどうやら少しは身近になってきたかといえる類だろう(女中…