Roberto Duran
プロボクサー。通称「石の拳」。
1951年6月16日生まれ、パナマ・エンチョリーヨ出身。
1968年プロデビュー。
エルネスト・マルセルや小林弘をKOで下すなど勝利を重ね、1972年6月、無敗のままケン・ブキャナンが持つWBAライト級王座に挑戦。13回*1KOで王座奪還。
その後も鈴木石松(現ガッツ石松)、レイ・ランプキンらを相手に、10連続KOを含む11度の防衛を達成。
1978年1月、WBC王者エステバン・デ・ヘススとのタイトル統一戦に挑む。因縁の相手とのラバーマッチだったが、12回KOでタイトル統一。
1970年代のライト級戦線において最強を誇った。
ライト級タイトルを返上し、1980年6月、2階級上のウェルター級王者シュガー・レイ・レナードに挑戦。激闘の末、スプリットデシジョンで2階級制覇を達成。
しかし、5ヵ月後の再戦ではレナードが8回に突然の試合放棄。この試合は「ノー・マス事件」として知られるようになる。
1982年1月、ウィルフレド・ベニテスが持つWBCスーパーウェルター級王座に挑むも判定負け。
1983年6月、デビー・ムーアが持つWBAスーパーウェルター級王座に挑み、8回TKO勝ちで史上7人目の3階級制覇を果たす。
同年11月、ミドル級王者マービン・ハグラーに挑むが、判定負け。
1984年6月、WBCスーパーウェルター級王者トーマス・ハーンズと対戦。初回にいきなり2度のダウンを奪われ、2回KO負け。この試合は後に「ラスベガス恐怖の一撃」と名づられた。
1989年2月、アイラン・バークレーが持つWBC世界ミドル級王座に挑む。スプリットデシジョンで4階級制覇。
同年12月、レナードとの再戦で判定負け。
1998年8月、47歳にしてウィリアム・ジョッピーの持つWBAミドル級王座に挑戦するが、3回TKO負け。
その後もリングに上がり続けたが、交通事故による重傷のため、50歳を超えて引退。
戦績120戦104勝69KO16敗
船木誠勝と異種格闘技戦も行った。
2006年12月7日、「国際ボクシング名誉の殿堂博物館」に名誉の殿堂入りを果たした。
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*1:当時の世界戦は15R