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マルチチュード

(読書)
まるちちゅーど

 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著で、『〈帝国〉』の続編にあたる。原著Michael Hardt and Antonio Negri, Multitude: War and Democracy in the Age of Empire, Penguin Pressで、2004年に刊行された。日本語訳は日本放送出版協会から2005(平成17)年に上下二冊本として刊行されている。
 原書:asin:0143035592
 上巻:isbn:4140910410
 下巻:isbn:4140910429
 本書は『〈帝国〉』で十分に論じきれなかった「マルチチュード」について、いま現に世界で進められている多様な運動から豊富な実例を引きつつ論じたものである。また、本書は9・11事件からイラク戦争、そしてアフガニスタンとイラクの戦後の混乱が続いている状況の下で執筆されており、その影響は本書のいたるところに見られる。
 第一部は「戦争」と題され、9・11事件以後の21世紀初頭の戦争の特徴がまず最初に大きく採り上げられる。著者たちはそれを前著で論じた「〈帝国〉」出現という状況下での戦争の変容であると位置づける。
 第二部「マルチチュード」では、その「〈帝国〉の戦争」を強いる「〈帝国〉」への抵抗・変革の主体としての「マルチチュード」について論じる。それは、多様性を保持した多数者のことであり、多様性を認められない「人民」や「大衆」とは異なる新しい変革主体であるとする。
 第三部「民主主義」は、その「マルチチュード」による変革の目標として、いまだ実現されたことのない「全員による全員の支配」という意味での民主主義の実現を位置づけている。
 日本語訳には、著者による「日本語版への序」が附されているほか、「解説」として水島一憲「愛が〈共〉であらんことを」、「監修者あとがき」として市田良彦「「大きな政治」の復権」が掲載されている。

マルチチュード

(読書)
まるちちゅーど

Multitude。マルティテュード、ムルチチュードとも読まれる。なお、ラテン語 multitudo は「多数」と「民衆」の両方の意味で使われる。
群衆=多数性、多数者などと訳される、哲学・政治学の概念。政治哲学者ホッブズ(主著『リヴァイアサン』)が、社会契約を結んで「国民」になる前の数多くの(まとまりのない)人びとという意味で使ったことばである。
特に近年イタリアの思想家・革命家アントニオ・ネグリが新たなる歴史の「変革主体」として位置づけたことで知られている。
ネグリとマイケル・ハートによる『<帝国>』・『マルチチュード』および彼らの諸著作では、「主体の多様性」、「絶対的に差異化された集合体」「欲望を表現し、世界を変えようとする装置を体現するもの」などの意味を含む。一つの勢力でありながら、多様性を失わない、また多様性を失うことも求められないような多数者のことである。ネグリとハートによれば、マルチチュードは「統一性/多様性」や「同一性/差異性」という矛盾にとらわれない存在であり、統一されていながら多様性を失わない、また、共通性を持ちながらそれぞれの差異を失わない存在である。それが同一性・統一性を求められた(または差異性・多様性を無視された)「人民」などのこれまでの革命主体との違いであるという。
まあ要するに(複数の)革命主体であり変革主体であり、<帝国>に対抗する存在と位置づけられる。

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