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ヘンリー・ダーガー

(アート)
へんりーだーがー

1892-1973 Henry Darger
最も有名なアウトサイダー・アーティストの一人。
1973年4月13日、シカゴ。身寄りのない81歳の老人が息を引き取った。彼が40年来住んでいたアパートの部屋には訪ねてくる人もいなかったという。アパートの大家ネイサン・ラーナーは、老人の遺品を処分しようと、この雑然とした部屋に足を踏み入れ、大変なものを発見する。タイプライターで清書された15冊1万5145ページの戦争物語『非現実の王国で』とそのために描かれた300余点の大判の挿絵だった。自身も高名なデザイナーであったネイサン・ラーナー、そして彼が亡くなった後は夫人のキヨコ・ラーナーの奇跡的な尽力によってその作品は完璧に保存され、美術界に紹介され、広く知られることとなった。ダーガーが拾い集めた新聞や雑誌の膨大なスクラップで溢れる故人の部屋そのものも、ダーガーの死後25年の間そのままの状態で保存されていた。

物語の正式なタイトルは「非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコーアンジュリニアン戦争の嵐の物語」The Story of the Vivian Girls, in What is Known as the Realms of the Unreal, of the Glandeco-Angelinnian War Storm, as caused by the Child Slave Rebellion.

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で



映画『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』

孤高のアウトサイダー・アーティスト、ヘンリー・ダーガーのミステリアスな生涯と作品世界に迫る異色のドキュメンタリ−


ダーガー自身の写真は、知られているだけで3点しかなく、もちろんホームビデオもなければ、生前の彼を知る人間もほとんどいなかった。そもそも、彼の名字が「ダーガー」であるのか「ダージャー」と発音されるべきなのか、それすら定かではない。アカデミー賞も受賞したことのある監督ジェシカ・ユーは、長期にわたって入念なリサーチを行い、大家であったキヨコ・ラーナー、アパートの住人、教会の合唱団の男の子ら、実際にダーガー本人を知っていた人たちによる証言や取り壊される前に2度にわたって撮影した生前の部屋、自伝や作品からの引用なども巧みに織り交ぜて、伝説化するダーガーの生涯と創作の秘密を丹念に炙り出す異色のドキュメンタリーを完成させた。


動く(!)ヴィヴィアン・ガールズが誘うダーガーの妄想世界


圧巻は、ダーガーの孤独な現実を伝えるドキュメンタリーと並行して挿入されるアニメーション。残された「非現実の王国で」の絵の中の要素だけを丹念に拾い出し、2年の歳月をかけて制作され動き出したヴィヴィアン・ガールズ。ある時は荒れ狂う空の下で陽気にはしゃぎ、ある時は兵士と戦い、またある時は翼を持った幻想的な生き物に助けられる少女たちは、ダコタ・ファニングによるナレーションによって命を吹き込まれ、観る者を興奮と彩りに満ちたダーガーの妄想の世界へと誘う。

 
監督:ジェシカ・ユー
ナレーション:ラリー・パイン ダコタ・ファニング
プロデューサー:スーザン・ウエスト
アニメーション・プロデューサー:カーラ・ヴァロウ
音楽:ジェフ・ピエール


2004年/アメリカ/82分/カラー/アメリカン・ビスタ/SRD


提供:シネマライズ
宣伝:トルネード・フィルム+Lem
配給:トルネード・フィルム

*1

  • 予告

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