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フリードリヒ大王

(一般)
ふりーどりひだいおう

在位1740年〜1786年。プロイセン王。フリードリヒ二世。ヨーロッパの片田舎に過ぎなかった弱小国プロイセン王国を大国へと導き、ジャガイモの栽培を推進して食糧事情を改善するなど、その優れた行政手腕から後に『大王』と尊称されて国民から絶大な人気を博した。

『兵隊王』の異名を持ち、横暴な君主であったフリードリヒ・ウィルヘルム一世の子で、父からは虐待を受けたものの、イギリスの洗練された宮廷人であった母の影響を受けて芸術面の才能も開花させるなど、子どもの頃は文弱の貴公子っぽく暮らし、《反マキアベリ論》で開明的な理想の君主像について説いてみたりした。

 芸術や文化を重視し、優男然として用兵にはとんと興味を示さなかったため、周囲から即位後には軍備の縮小を図るものと見られていたが、ところがどっこい即位すると戦争を仕掛けたりシュレジェンをオーストリアから奪ったりとかなり言行不一致。女性蔑視の言動でも有名で、フランスのポンパドゥール夫人、オーストリア・ハンガリー二重帝国のマリア・テレジア、ロシア帝国のエリザヴェータ女帝などあらゆる女たちと戦争をした。

 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公フェルディナント・アルブレヒト2世の娘エリーザベト・クリスティーネと結婚するが、まったく興味を示さず彼女を遠ざけた。



ホーエンフリートベルク行進曲(Hohenfriedberger Marsch)は彼が作曲したと言われている

Hohenfriedberger Marsch


hohenfriedberger marsch

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